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[コメント] アンダー・サスピション(2000/米)

監督のひとりよがりの技法や技巧ばかりが先に立って、常夏の国プエルトリコの祭りの宵という魅力的な舞台設定も、モニカ・ベルッチの扇情的エロスも全く活かされていない。だからだろうか、二大俳優の演技も空回りしてるように見えた。
町田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







前半は、まどろこしい語り口で、構成も込み入ってるが、サスペンスの形式としてはそれ程珍しいものではない。こういう風に言うと、誉めることになるのか、貶すことになるのか良く判らないが、「4、50年前のセンスを良く踏襲している」、と思う。個人的には好印象も悪印象も持たなかった。(尋問と回想をシンクロさせるアイデアはまぁまぁ新しいと云えるのかも知れないが、別にたいした効果を上げているわけではない。モーガン・フリーマンは「出番が増えた」と喜んだかも知れないが。)

後半は、脚本に関して、良く出来ていると膝を打った。事件の解明を完全に放棄して、夫婦の断絶に焦点を映すどんでん返しは本当に巧い逃げの一手。キューブリックの遺作に通じる。群集とベンチを使った余韻のあるラストもいい。ベルッチがハックマンを拒絶するようになった動機を、ベルッチの中に眠る「潜在光景」に求めたことも、松本清張ファンである俺を大いに喜ばせた。

しかし演出に関しては全くなって無いと断言する。

まず、年間平均気温が25度というプエルトルコの季候が、昼の熱さにしろ、宵の涼しさにしろ、全く画面から伝わってこない。『十二人の怒れる男』や『張込み』の例を上げるまでも無く、サスペンスの神は細部にこそ宿る。フリーマンがハックマンにハンカチを手渡すシーンは気温と焦りを同時に顕す重要なシーンであったはずだが例の「シンクロ」技法のお陰で本来持つべき「効用」が完全にふっとんでしまっている。

また「カメラを向けられていること」で生まれる緊張感が皆無。ハックマンと切り返されるカメラのアップショットに「ジーッッ」と云う電気音を重ねるだけでそれは生まれるのに、この映画のカメラはただのカメラで在り続けた。

そしてモニカ・ベルッチ、サスペンスに於ける美女の使い方。全くなっていない。冒頭で僅かに、ハックマンの接吻を避けるベルッチの姿が映し撮られるわけだが、 このシーンだけで夫婦間のセックスレスを伝えようとは、ちょっとお上品過ぎやしないか。作品の3割を占めるハックマンの回想シーンに「魅力的なベルッチ」が全くと云っていい程登場しないのは致命的なミスだと云っていい。11歳で見初め、14歳でセックス、20歳で結婚した、最高の妻である彼女との「この世で最高の、人生を崩壊させるほどの魅力を持つ情事」が全く映像化されないことには、ハックマンのベルッチに対する執着も、ベルッチのハックマンに対する嫉妬も単なる、皮肉な言い方だが、「画に書いた餅」になってしまう。

以上三点を纏めて云えば、この監督の演出には「ネチっこさ」が全然足りないのである。それは俺に、辛味の無い、一夜漬けの、すっぱいキムチを口にしてしまった時の空虚感を、思い出させる。

ああ残念でならない。

スティーブン・ホプキンスなる人物は駄目な現代人監督の見本のような人だ。

(評価:★3)

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