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[コメント] 武士の一分(2006/日)

隙のない山田洋次監督の執念が映像化されたような映画だった。
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







原作は藤沢周平。時代劇で武士の詳細を描くことにかけては、その道の第一人者だ。山本周五郎の節も見事だが、藤沢周平のそれは生活に密着している点で秀でている。そして夫婦愛だ。この趣が藤沢原作を著しくヒットさせた所以であろう。それほど現代の夫婦愛とは見失われているのか。

いや、現実に近い面もこの映画には見え隠れする。夫が妻を離縁する。その理由は妻の浮気となるのだが、その理由を聞くも聞かぬも「離縁する」と夫が申せば離縁である。これもまた、現代的だ。そもそも、この時代で離縁とは世間体に恥をさらすようなものである。絶対にありえない話なのだ。それはフィクションだから。

この映画はしかし、松竹映画としては立派すぎるほど立派な映画だ。かつて松竹でかような映画を作る時代などなかった。時代劇であることもそうだが、これほど念入りに作られた作品であることと、スタッフの豪華さが素晴らしい。山田監督の執念であろう。(むしろ東宝映画かと見まがうほどの作品だ)

山田監督が、衣装監督に黒澤和子を起用し、音楽監督に富田勲を起用したあたりに執念を感じる。富田勲の音楽は印象的だ。この映画の冒頭から見事な配慮がなされている。

そして役者も素晴らしい。東北弁と思われる言葉を見事に操り、いずれも好演。しかし、これは山田監督の執拗な指導の賜物かもしれない。メイキングのシーンを見ても、監督の指導は執念深い。「そのままでいること」の苦労を壇れいさんはインタビューで語っていた。これこそかつて溝口小津黒澤がこだわった日本映画の伝統。「カメラい写る人だけが演技していてもダメなんだよ」そういうこだわりが日本映画の伝統を作っているのだ。山田監督はこの映画で、そのことに大いにこだわった節がある。

残念ながらキムタクはイマイチだったが、ほかの出演者と山田監督の執念で、十分見ごたえある作品となった。

(でも『隠し剣 鬼の爪』の方が良かった)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)りかちゅ[*] けにろん[*]

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