[コメント] 赤線地帯(1956/日)
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溝口と女優の戦いだが、これまで一連の溝口作品で見せていた画面からわき出てくるような情念のようなものはここにはない。迫りくる演出の恐怖が、ここにはないような気がしますね。
確かに晩年の作品であるが溝口がやはり女の情念とか執念とかに固執して、その勢いを延々と待ち続ける姿が目に浮かぶ。
もちろん『雨月物語』や『西鶴一代女』などの古典ではないが、やはりここには溝口が存在する。
赤線の仕事が身を持ち崩した女性たちのことであることすら知らない世代が多かろう。今や、現代ではこの類の仕事はファッションだ。でもって何も悪びれず、何の衒いもない今日的な赤線ではなく、その一線を越えるか越えないかは人生そのものを左右することなのだ。
そしてここには表立って出てこないが、男というものについても描かれている。このたくましい女性に比べ、なんとも情けない男どもよ。若尾文子に貢いで店を乗っ取られる男の情けなさ。これはもしかしたら今も変わらないかもしれない。
子供を頼って赤線から身を引こうとする母親のエピソードもつらい。そんな親を他人や自分の嫁になる女性に紹介できるものか。そりゃそうだ。でも、当時の情勢が物語る。女たちの会話の向こうでテレビのニュースが「赤線廃止」を告げる。気のふれたこの母親の悲しさは胸にくる。
溝口には珍しい現代劇だが、十分堪能できる。
あのラスト。赤線も下火で、いずれ廃止されるにもかかわらず、生娘が客引きに挑もうとする。しかし、その通りの向こうの恐怖も知っている。そこにかぶさる黛敏郎の奇妙な音楽がまた見るものを恐怖に陥れるのだ。
素晴らしい作品。そして素晴らしい遺作と言えるだろう。
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