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[コメント] 愚なる妻(1922/米)

淀川長治先生がアテネフランセでこの映画を時間かけて語られていたことを昨日のように思い出す。この時代とリアリズム、映画は描き方だ、という言葉や思いを今も心に秘めて映画を鑑賞したいと思いますネ。
chokobo

このリアリズムこそは、かつて映画という娯楽が芸術へ自ずから進化しようとするあの時代のなせる技ということである。今見るとそのサイレントのそのモノクロのそして静かなシーンとシーンの間に、そのカットとカットとカットのつながりの間に、カジノのシーン、城の中、庭園、寝室など、豪華な宝石のようなシーンがあふれていることを教えられる。

残念なのはおれが古典であって現代の映画、近代科学アカデミーと大きく時間が離れてしまっていることで、この価値を失っているが、やはり当時、サイレントでありモノクロであり、そしてこれが満員の劇場で上映されたその衝撃であり、この映画が輸入された日本という当時の時代であり、大正デモクラシーという言葉とこの芸術そしてシュトロハイムのあの顔、あのヨーロッパな顔、これがアメリカ映画として大正の日本に輸入されたことを思えば、その衝撃も別の味わいを持つ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)りかちゅ[*]

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