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[コメント] 踊る大捜査線 THE MOVIE(1998/日)

「事件は会議室で起こっているのではなく、現場で起こっている」という主人公の言葉は有名な文句だそうだ。当時あいにくこの映画を見逃してしまっている。しかし、今作品を見て率直に言えば、この映画に「事件」など発生していない。
ジェリー

 警視副総監が誘拐されているではないかという人もいるかもしれない。確かに現実社会ではそれは事件、それも十分に大きな事件だろう。残念ながら映画ではそれだけでは話にならぬ。 

 警察映画にまずもって要求されることは、発生した事案の社会的せめて倫理的侵害インパクトの大きさの叙述である。そこから警察映画としての面白さが始まる。この映画はそれがとても弱い。起承転結の起部に、舞台となる所轄警察署にヘリコプターや本庁からの車が次々と押しかけるシーンが用意されているのだが、それだけでは不十分だろう。被害者の家族の慟哭や不安や混乱、事件を知った社会の深刻な反応やシステム不全の様相、犯行の異常性や動機の不可解性、こういうものを具体的に律儀に描いてこそ、とりあえず警察映画のスタートラインに立てる。『天国と地獄』『砂の器』『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』『羊たちの沈黙』など傑作群と比較するのはかわいそうにしても、もうちょっと勉強はお願いしたいところ。職人肌の監督なら陳腐かもしれないが冒頭10分以内にマスコミを数十人登場させるところだ。

 そういう基礎工事の弱さだけではなく、もっと情けないのは先行作品からのネタのパクリ、3つ発生している事件のうちに小泉今日子が絡んでいる2番目の事件の決着の放置(小泉今日子自身も無残にも放置プレイの餌食となってしまった)、不用意なギャグの挿入による進行の停滞など。これらはおそらくテレビ番組を見てきてある程度この映画の世界を分かっている人が観客であるという不用意かつ安易な前提による、おもねりである。

 1回45分程度の尺を持ちワンクール10回から11回の確保が可能なテレビドラマのタイム感覚そのままで人間を描こうとしているようだが、たかだか1時間30分からせいぜい2時間しかない映画では人間を描く前にまず事件を描いて欲しい。その上で登場人物のキャラを簡潔に効率的に描写することを望む。テレビと映画とのタイアップが不要などといいえる時代ではない。その先鞭をつけた映画だからこそ改めて見ておこうという気持ちが湧いたし、期待は高かったのだ。このレベルでは残念と感じてしまう。 映像の修辞法など議論する以前の問題である。

(評価:★1)

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