[コメント] 死んでしまったら私のことなんか誰も話さない(1995/スペイン)
薄幸な女性が必死に這い上がっていく様は訴えかけてくるものがあるが、あのラストは頂けない。[Video]
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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神は犠牲を求める。だからエドゥアルドは娘の命と引き換えに自らは消され、グロリアも真っ当な生活を獲得する代わりに義母と夫を亡くす。「神は不公平だ」とエドゥアルドは言う。しかし、生活に不自由がないエドゥアルドも薄幸なグロリアも、同じく犠牲を払わなくてはならないという点においては、神はまったく公平である。
我々日本人にとっては、神よりも運命と言いかえたほうが分かりやすいかもしれない。しかしこの映画は、そんな運命に対して人間はまったく抗う術を持たないような観念、あるいは無力感のようなものに包まれている。
グロリアが何とか這い上がろうともがいている様子は、強盗というやり方はともかく、そんな運命の殼をぶち破ろうとする必死の努力が垣間見られて、最初の設定の暗さに辟易していた自分もある程度引き込まれるものを感じかけていた。
しかし衝撃のラストでは、そんな人間の努力をもってしても跳ね返すことのできない「何か」が感じられ、努力次第で運命は変えられるという前向きな考えを否定された気がして、再び暗澹たる気分にさせられた。
人生ってそんなものだろうか。まだまだ青二才の私は、そうではないと信じたい。
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