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[コメント] 私は「うつ依存症」の女(2001/米=独)

プロザック・ネイション。システムを支えるために飲む一錠。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「適度な」他人との関わり方というやつを、みんなが器用にこなしていることを不思議に思うことが私にはたまにある。

別に我慢をしているふうではなく、好きにやっていながら、他人ともそこそこ合わせている。でも彼らはちゃんと交わっているうように見えない。お互いが誤解で相手を理解しているように見えるし、わかっていて相手を利用しているように見えなくもない。でも彼らはお互いを友人と呼んだり恋人と呼んだりすることにためらないがない。「そんなのっておかしくない?」この主人公はそう叫んでいるように見える。

自分自身に対して誠実にあるように、相手に対してもそれを望もうとする。この主人公の場合は、他人との関係の中での嘘やごまかしに対しての忌避反応が強かったように思う。

個人主義が標榜される世の中で勝ち取った自由の代償として、他人との関係に悩むことが増えた。多くの人は主人公の彼女ほどは敏感な受容体ではないから、気がつかずにやり過ごすことができたり、少したつと忘れられたり、また、相談したり考えたりしながらつきあいを調整できるのだ。そうすることができなかった人たちが、今日の社会の仕組みを、薬を飲んで下支えしてくれているのだといえるかも知れない。

社会と折り合いをつけるために飲む一錠は、同時に自分自身を取り戻すことができる一錠でもある、という確信があるからこそ信じて飲めるのだと思う。でなければ、薬を飲む前と後、「本当の自分とは誰なんだろう」という迷宮に陥ってしまうだろう。それだからこそ、多くの人がそれを服用しなければ「自分でいることが出来ない」という事態とはどういうことなのだろう?ということこそこの作品の一番大事なテーマだったように思う。そこが、薬局に出入りする大量の人々のコマ落としという絵こそあったが、結局はナレーションで語ることになってしまったところがちょっと残念。

(評価:★3)

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