[コメント] 恐怖分子(1989/台湾=香港)
「何が起きてしまったのか」、ということ。あるいは、潜在的なもの。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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この映画の主題は「何が起きたのか」ということではないだろうか?
最初からおわりまで映画を、支配しているのは偶然性である。 事件に居合わせたカメラマンが少女とであうのは偶然だし、 女流作家が、流産によって、作家をつづけることになったのも 偶然であるし。少女が女流作家に電話するのも、女流作家の 夫の上司が死んだのも、すべて偶然である。すくなくとも、 映画のなかにその理由が述べられない。
ところが、すべてが不自然な様相はしめすことなく、破局へとすすむ。 女流作家の描く小説と、ほぼおなじプロットをたどることで。
理由もないのにこの映画では、すべてのできごとがつながっていく。 登場人物達は、とわずにいれない。「何が起きてしまったのだ」
「記憶」が問題ではない。もし記憶を、何かの想起と規定するかぎり 記憶が問題ではない。もし記憶が問題だとしても、それは「潜在的記憶」 である。何かの物語として定着される記憶ではない、物語の絶対的外部としての記憶が問題なのだ。 強いて言えばまさに「現在」の知覚が問題なのだ。
この映画には絶望感が漂っている。だがそれだけではない。 その希望感を感じさせる手法もまた偶然による。だが・・・もういちど 考え直してみよう。何が起きたのか?そこにもしかしたら答えがあるかもしれない。
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