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[コメント] トンネル(2001/独)

Der Himmel unter Berlin <ベルリン・天使の穴>
G31

歴史を語ることはかくも難しい。基本的に東ドイツから西ドイツへ"逃げた"人たちの立場にたって描かれるこの物語は、逃げることそのものについては、悪として描けない。むろん国際的な世論からいっても、共産圏から自由主義圏へ逃げることが悪だなんて主張はなかっただろう。だがテオが妻・ロッテに向かって「(東には)家族も生活もあるのに、なぜ西へ行きたがるんだ!?」と言っていたように、同じ共産圏といっても、今の北朝鮮みたいに家庭も経済も生活も崩壊している国とは訳が違う。主人公のハリーにしても、冒頭ではっきり明示されていたように、国家から剥奪された名誉とプライドを回復するため、国家への抵抗として西側へ逃亡したのであって、だからこそ世界新を出して金メダルを獲ったあとに実行する必要があった。西ベルリンでの最初の晩、逃亡を支援した組織の仲間から、"自由へ乾杯!"と言われたときに、しばし意外そうな顔で躊躇を見せたハリーの態度が印象的だ。どう考えてもこの作品自体、不自由な東から自由な西への逃亡を描いた映画として、世間から受け止められていることは間違いない。だが、それとは異質な価値観も織り込まれていることについて、忘れたくないと思う。

貴族出身のフレディが、「プロイセン貴族は、(悲しいことがあっても)涙を流さない」と言っていた。これは普通に言葉通り受け取ってもまったく構わない訳ではあるが、多分、泣き言をいわない、言い訳をしない、責任逃れをしない、ということを言っている。そしてプロイセン貴族、の部分は、旧東ドイツ国民、と置き換えてあげてもいいだろうと思う。崩壊したとはいえ、自分たちが今までそこで過ごしてきた体制について、ことさら悪し様に言うことを彼らはしないのだ。あくまでフリッツィへの愛に殉じて、壁を乗り越えようとしたハイナー、登場人物中唯一の悪の権化でありながら、慎重に描かれるクリューガー大佐、自分の行動に自分でけじめをつけたカロラ、なにより常に飄然として、運命を受け入れているかのように見えるロッテなど、東ドイツ国民の描き方にそれは現れているように思う。そしてなぜ貴族だけに限らないと思うかというと、極東の島国の、百姓出身の日本人(の私)にも、そういう価値観はよく理解できるからだ。

"Das ist meine Geschichite."(これは私の物語である)と何度も言っていた。Geschichiteは歴史という意味でもある。この映画はきっと、ドイツ人が、自国の歴史をドイツ人に語り聞かせるために撮られたものなのだろう。描かれない部分についても、彼らの間では了解があるのかもしれない。だが正直言って我々にはよく伝わってこない部分も多い。もっとはっきり、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、と言っていただきたいのである。今後そんな映画が出てくるものと期待している。それがいいことなのか悪いことなのか、よく分からないけれど。

75/100(02/09/16見)

(評価:★3)

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