[コメント] アンダーグラウンド(1995/独=仏=ハンガリー)
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あまりにも政治色が強くセルビア寄りと批判され、それに嫌気のさしたエミール・クストリッツァは引退宣言を出した。確かに、最後の饗宴における「われわれ」意識、そこの中心にあるものは何なのか(チトー?)。またその「われわれ」はどこまでを含みどこまでを含まないのかは判然としないなかで、このような文脈から本人の意図しない部分で政治的目的で悪用されかねない内容を含んでいることは否定できない。
しかし、「ここ」で暮らす人たち、第二次大戦以降ずっと地下に押し込められてきた人たちの思い、そうしたものを素朴に語っていこうとすればするほど、どうしてもそれが政治的なものにならざるをえなかった。それこそがこの地域が置かれた状況。
引退宣言撤回後、クストリッツァが撮ったのは、政治色を払拭した『黒猫・白猫』である。だが、これが『アンダーグラウンド』における離れ小島での饗宴が展開するさまと考えるなら、クストリッツァのテーマは一貫してるし、そこに政治色を読みとることもできる。(クストリッツァ本人はそれを望まないかもしれないが)
個人的には政治色が強くてもかまわないと思う。こうした背景のない社会から産まれた作品だったら、メッセージ性が強すぎてうさんくさくなりかねないような、あの毅然とした態度の弟のセリフも独特の輝きを放つ。たとえそれを敷衍していくと危険な内容にもなりかねないとしても、そこのくだりに心動かされてしまうのは確かである。
「地下」「水」「沈黙」「日日の生活」こういったイメージは、トーキング・ヘッズのあの曲とイメージが重なる。果たして自分は今まで何を為してきたか、そして自分はどこに向かうのか、絶え間ない自己への問いかけ。たとえ「何も変わらない」のだとしても、それは意義深い行為と思う。(★4.5)
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