[コメント] 修羅雪姫(2001/日)
……いや、『殺し屋1』って観てないんだけどね。でもあのスチール写真で、監督が三池崇史と来れば、どんな内容かは想像つく。そしてこの映画と比べたくなる。
僕はこの映画よりも先に、『ゴジラ×メカゴジラ』を観ていた。「メカゴジラ」への不満は、最後まで釈由美子の顔が汚れなかったことだ。きれいな人だというのはわかるが、いくらなんでもあれだけ活躍して顔が汚れないのは不自然だ。『修羅雪姫』では予告映像などで顔を汚した釈由美子が映っていたので期待していた。
ところがやはり足りない。予告通り顔は汚しているし、痛いシーンもある。にもかかわらず、釈由美子は実にきれいな肌をしている。着替える釈由美子の背中は美しい。はっきり言って美しすぎる。でっかい傷跡があってもいいんじゃないのか。これまでにも修羅の人生を送ってきたはずである。顔にだって傷跡があるべきだ。大体、伊藤英明と出会ったとき、ナイフを熱して消毒していた傷はどこへ消えたんだ?白い服に着替えたとき、腕の傷は跡形もなく消えている。「気」がどうこうと言ってたけど、そいつの流れを操ると、あれほどまでに回復力が高まるのか?
誤解の無いようにはっきり述べておくが、釈由美子は頑張ってたと思う。それどころか、もっと凄い演技ができるはずだと思っている。彼女なら自分の身体に、もっとたくさんの(特殊メイクによる)傷をつけることだって拒まなかったはずだ。彼女が拒んだのではなく、監督が最初から傷をつけようとしなかったのじゃだろうか。他にもこの映画、青やオレンジに塗られた映像が、えらく素人くさい。オレンジはまだ夕日の下で撮影したような、自然感があるので観られるのだが、青はもう全然ダメ。監督のセンスは僕には合わなかったようだ。単純に塗りつぶせばいいというものではない。画面を暗くすれば即、リドリー・スコットやデビッド・フィンチャーのような映像になるわけではないのと同じだ。『ニューヨーク1997』だって暗い画面だけど、彼らがつくる映像とは全然違う(好きな映画だけどね)。それと同じことだ。
監督は釈由美子を美しく撮ろうとするあまり、無傷の肌を撮った。これでは「しょせんアイドル映画」である。無傷の美しさは、写真集ででも見せてもらえれば結構。チャンバラ映画に期待するのは、傷を負った美しさだ。傷だらけの身体も撮り方次第で、痛々しさではなく美しさを感じることができる。傷だらけの釈由美子を撮っていれば、「こんな役を演じられる彼女はすごい!」と、もっと言われたはずである。
いっそのこと、三池監督がこの映画を撮っていたら……とは思いたくないね(笑)。もしそうなってたら、傷だらけの釈由美子は観られても、美しいとは感じられなかったでしょう。
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