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[コメント] 多桑−父さん(1993/台湾)

日本統治時代に日本人として育ったために、そして国民党の政治支配が苛烈さをきわめたが故に、感じる悲哀。我が身を振り返り、嫌いだった父を理解するに至った呉念眞監督の体験的自伝。これはとても他人ごととは思えない。
Amandla!

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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原題はもちろん『多桑』(Duo-Sang)

 このお話は実話なんですよねー。呉念眞監督の実のお父さんの物語。

 子どもたちに日本語で「父さん」(多桑)と呼ばせるお父さん、日本語で「バカヤロー」を口癖のように連発するお父さん、何でも日本製品を欲しがるお父さん、日本語のラジオを聴くお父さん……。

 台湾でこの作品が封切られたとき、そのお父さん世代がどっと詰めかけたというから複雑な思いを禁じ得ません。作品の中でお父さんが観に行く映画も岸恵子主演の『君の名は』だったりするんだもん。

 植民地だった後遺症が今も残っているわけ。なにしろ日帝支配の時代が半世紀も続いた。戦後国民党の支配になり、1950年には大陸で共産党に敗退した国民党がどっと入ってきて、もともと台湾に住んでいた人は大変な目に遭うことに(このあたりの歴史は侯孝賢の『悲情城市』を観ると感覚的にわかる)。

 もちろん子どもは日本の中国侵略の歴史を知っているから、父親のことを祖国中国への裏切り者だと感じたりする。

 呉念眞監督は評論家佐藤忠男さんのインタヴューに答えてこう語ったという。

「私は父を祖国の裏切り者ではないかと思って恥ずかしかったのですが、大きくなってからそれは日本時代の教育のせいだったと理解できるようになりました。そして考えてみると私たちだって、アメリカ式の教育を受けて世界の出来事をすべてアメリカの立場で見るように知らず知らず傾向づけられていることに気づきました。そう気づくと、父のことも、親子というより、ちょっと距離を置いて友達のように見ることができるようになったのです」(佐藤忠男著『知られざる映画を求めて』1999年、現代書館刊 p.86)

 日本人はどうなのか? アメリカ式の教育を受け、アメリカの立場で見る、なんてものではないのであります。名誉白人扱いされた歴史が長いため、名誉西洋人気取りで米国に尻尾を振る首相を持つだけに、とても人ごととは思えないのですね。洋風の食事(といっても実際は随分違う)を摂ったりするけど、洋風の考え方を身につけているかと思えばさにあらず。確固とした自分自身の考えを持とうとせず、横並び一線で主体性がない。人様が考えた借り物の知識を自分の考え方だと思い込んでしまっているのだから始末が悪い。ニュース・キャスターあたりのコメントを、深く考えもせずに「あ、そうだな」と鵜呑みにしてしまったりするところは旧態依然。そうこう考えると、まったく人ごとではないわよ。中身は日本人のままなのに外面は西欧人気取り。

 ま、愚痴はそれくらいにするとして、作品の中に侯孝賢(本作で製作も担当)が『君の名は』の上映シーンで活弁を演じている。また、ナレーションは監督自身によるもの。(『悲情城市』で呉念眞は脚本を担当)。

 ちなみに、この作品はトリノ映画祭でグランプリを、テサロニケ映画祭でもアレクサンダー杯(銀賞)と最優秀男優賞を獲得している。日本ではさほどヒットしなかったけれど、国際的には高く評価されていることは銘記すべき。

(評価:★4)

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