[コメント] クレーヴの奥方(1999/仏=スペイン=ポルトガル)
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ラファイエット夫人により著された17世紀の小説を原作としているはずなのに、冒頭のシーンからロックが響く。一瞬、ドキッとさせられた。実際にヨーロッパで人気を放つロック歌手を本人役で出演させ、クレーヴ夫人の情熱の対象として設定するとは、何とも奇想天外に思える。しかし、この試みは見事に成功している。
ペドロ・アブルニョーザ=ロック歌手という、いかにも現代的な設定を入れたことで、そのコントラストによって、古典的なクレーヴ夫人の女性像がより際立ってくるのだ。夫ではない人間に愛情が向いてしまう女性が、そんな感情は許されるものではないと思いを胸に秘めたままにする姿は、フランス文学ではカトリック精神に基づく古典的なものだ。例えば、19世紀に書かれたバルザックの「谷間の百合」などがそうである。
そういった視点から見ると、クレーヴ夫人が苦悩する姿に真新しさはない。しかし、設定が現代になると話が変わってくる。夫の不満があれば、あっさりと離婚してしまうのが現代的な選択である。離婚という選択肢がある現代において、クレーヴ夫人は苦しみを抱えつつ忍耐に忍耐を重ね、自らの胸中に反してまでアブルニョーザを拒否し続ける。最終的には、その忍耐の極限として、アフリカで貧困の現状を目撃し、自らそこで貧しい人々に手を差し伸べて生きることを選択する。今、この時代に、ここまで忍耐強くなれる女性が存在するだろうか。クレーヴ夫人の耐え忍ぶ精神は、現代人には欠けている心だと思う。だからこそ、ロック歌手という現代的なアイコンと対比することで、耐える姿がより浮かび上がる。
そして、クレーヴ夫人が辛さに耐えるほど、演じるキアラ・マストロヤンニには貞淑であるゆえの美しさが宿る。冒頭のコンサートの席よりも、修道女に相談する際の方が、断然美しく見えてしまう。
また、1908年生れの長老・オリヴェイラの演出には非常に落ち着きがあり、貫禄を感じてしまう。説明描写はすべてサイレント映画のように文字を挿入することで済ませてしまい、役者が演じるシーンでは余計な説明描写を一切排除して、感情のみを徹底して追いかける。ロックコンサートシーンまで画面には登場するほど、試みとしては新しいことに挑戦しているのに、この安定した画面運びにも驚く。90歳を超えてまで映画を撮り続けるだけのことはある。
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