[コメント] 妻よ薔薇のやうに(1935/日)
「愛人」についての固定観念をくつがえす佳作
「小津は二人いらない」と松竹を解雇された成瀬巳喜男が、東宝の前身であるPCLでつくった本作は、「愛人」についてわたしたちが抱く固定観念を根底からくつがえす佳作である。
「愛人=妾」との関係は、「愛」よりも「お金」で結びついた関係であり、彼女はぜいたくな暮らしをする傲慢な悪女でなければならない、というのが「正妻」の側に立つ者の基本的前提である。
ところが、愛人もその子たちもとてもいいひとたちだったら、ぼくはどうしたらいいのだろう。なるほど、ぼくから父を奪った女は憎い。でも、その女はぼくたちに対して日々負い目を感じながら―しかも、父親には秘密にみずからの身を削りながら正妻宅に送金している―暮らしているのだ。
父親の優柔不断を責めるのはたやすいが、かれにとって安らぎの場所が正妻宅でなく愛人の家なのだと知ってしまったいまでは、子であるぼくはただそれを黙って見過ごすほかないのである。
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