[コメント] 地下鉄のザジ(1960/仏)
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随分と飛ばしている映画だ。『死刑台のエレベーター』『恋人たち』と若いながらも洗練された手腕を見せたルイ・マルが、その二作に続いて撮ったのがこの映画だとは、あまりの変貌ぶりにやや面食らった。ただ、それはそれで、ものすごく魅力的な映画。ある意味では前二作よりも魅力的かもしれない。ゴダールが彼の初カラー作品である『女は女である』を撮った際に、アンナ・カリーナをハイセンスな衣装で見事に映えさすなど、カラーであることを満喫した作品を作ったように、ルイ・マルも『地下鉄のザジ』ではカラー作品であることを大いに満喫している。『恋人たち』で使用したブラームスの「弦楽六重奏」を再度使ったセルフパロディまで見せていて、かなり遊んでいるなぁと感じた。
「ケツ喰らえ」を連発する、身近にいたら確実に苛立たせるであろうクソガキのザジ。だが、映画の中で見ると、ザジが女の子らしからぬクソガキっぷりを全開にすればするほど、なんだか楽しくなってしまう。ムール貝を食べては勢いよく皿に投げ飛ばし、パリ中を走り回って追いかけっこをする。そこには魅力が満載なのだ。
この映画はテンポの良さが、映画を楽しむリズムを作っているように思えるのだが、そこで評価すべきは編集だろう。コマ送りによるサイレント映画に似たシーンの数々もそうだが、ザジが靴を上に投げ、次のカットで足が映るとすでに靴を履いている、といった編集によって映像がなせる技も巧みに使われている。ゴダールが『勝手にしやがれ』で大胆な編集を見せていたのを思うと、ヌーヴェルヴァーグらしい試みがここでもなされていたのが良くわかる。ちなみに、ルイ・マルはゴダールやトリュフォーに比べると、そこまでヌーヴェルヴァーグ的な監督でもないような気がするのだが、『地下鉄のザジ』に関しては紛れもなくヌーヴェルヴァーグであり、その中でも特に特徴的なものだと言えると思う。
ストーリーを見ると、後半に行くと完全に破綻してしまっているのも事実である。ただ、その壊れ具合が魅力のひとつであるから、展開の破綻だけを引き合いに否定することはできない。ザジだけが寝ている中で、大人たちが暴れ周り、あたり構わずぶっ壊していく夜中のシーンでは、あそこまで豪快にやればもはや爽快というレベルまで来ている。突っ込みを入れたくなりつつも、思わず爆笑してしまった。これだけ暴れまわってすぐに、映画は幕を閉じるわけだが、締めになるザジの台詞の「年をとったわ」の中には、彼女のキャラクターも、映画全体もきちんと集約されているから、これがまた驚く。無茶苦茶をやっても、最後はこの台詞でまとまってしまうとは、実にアッパレだ。
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