[コメント] 地下鉄のザジ(1960/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
古くから映画界では「ネタがないなら子供か動物を使え」と言われていたらしい。愛らしいものを主人公に据えることで、家族で観られるほっとする映画。と言う意味合いもあるんだろう。流石に現在となっては陳腐化した風もあるが、特に子供を主人公とした映画は公開時の世相が他の映画よりもはるかに分かりやすいので、貴重な資料としての意味合いも持っている。
ここではザジという少女を主人公にすることで、社会の矛盾というのが浮き彫りにされる。ザジは小悪魔的な所があるが、基本的には無邪気なキャラクターとして描かれ、公共の乗り物である地下鉄が何故止まらねばならないのか。なんで大人は子供を縛ろうとする一方で、争うのか。その辺をコメディ・タッチでまとめている。子供は大人の事情が分からないだけに、何故当たり前のことが大人は出来ないのか?と言う疑問者の位置に置かれるようになる。それが巧くはまると、観ている側のこっちまで「大人の事情」って奴が疑問に思えてくるようになる。
彼女は世界は自分を中心であると信じて疑わず、自分に親切にしてくれるのは当然と考えるし、それが得られなかったら泣きわめく…これが大人だったらケリの一つも入れてやりたくなるキャラだけど、子供は得だ。なんだか許してしまいそうな、そんな自然なキャラクターに仕上がっていた。なによりあの本当に楽しそうな顔を見られたら、それで良いか。と思えてしまう。
本映画の最大特徴は時間の流れを変えてやってる所にある。主人公の周りの時間はゆっくりと周り、周囲の時間は加速度的に早く進む。それが不思議な雰囲気を見せているのだが、これは低速度撮影で撮り、俳優には動きを遅く演じさせると言う事をしているため。相当の手間暇がかかっている。
それが不思議な演出となっていたのは確かなんだが、しかし結局この映画、そう言う手法よりも子供の表情の方にばかり目がいく。面白い映画だけど、バランス的には今ひとつ。と言うところか?
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。