[コメント] ルナ・パパ(1999/日=独=オーストリア)
月とアクションの映画として見る。
馬が疾走するオープニングからして、間違ってもこれを「悲しい話」などと見ないでくれと画面が訴えている。
「人生の過酷さ」といった誰もが知っているはずのことを描くのに、封建的な村びとや愛する人たちの唐突な「死」が必要なわけでは決してない。
実際、それらの場面は壊されることを前提としたオープンセットを含んだ「リアル」を欠いた架空の村で、あっけなく描かれるだけなのだから勝手に悲しがってはいけない。
この映画で感動的なのは、マムラカットが月明かりの下で崖から落ちる場面や、低空を飛ぶ飛行機や、トラックと戦車の疾走といった「アクション」だ。
とりわけ印象的なのはマムラカットの「落下」の場面がラストの「飛翔」に対応し、ゆっくりとまるで宙に浮いているかのように描かれていること。
次のカットで見せる月の美しさ。それがこの映画に出てくる唯一の月(ルナ)だということ。その月あかリこそ「リアル」だということ。
その美しさを記憶していれば、その後彼女にどんなことがおころうとも「悲劇」にだけはならないと確信できるはずだ。
映画の中でシェークスピアのもっともらしい「悲劇」を壊して回る親子のように、この映画はもっともらしい「過酷な状況」をアクションによって軽々と乗り越えていく。
控えめな明かりで一度だけマムラカットを照らす月(パパ)の祝福。
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