[コメント] 幻の湖(1982/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
邦画における最大のカルト作と言われる本作。
当初話題性だけはあった。なんせこれまで脚本家として数々の賞を取った橋本忍が脚本だけでなく監督もすると言うのだ。話題にならないはずはない。実際本作は東宝の50周年企画として立ち上がり、東宝は大々的なキャンペーンを張った。オーディションから話題が振りまかれ、テレビスポットも大々的に行われた。橋本自身、本作で「日本映画興行記録を塗り替える!」とまで言っていた。まさしく本気の作品だった。
…で、蓋を開けてみたら、上映はたった3週間で打ち切られ、しかも予定されていた地方での上映は取りやめになると言う恐るべき失敗作となってしまった。
これを実際に劇場で観た人は、観終わった時にさぞかし頭を捻り、そして「観なかった事にしよう」と思ったには違いないだろうが、時を経て、これをオリジナル上映で観られた人は、どれだけ幸運だったか。とうらやましがられるようになるとは思わなかっただろう。
それだけ訳の分からない作品だったわけだが、30年の時を経てようやくソフト化。噂にだけ聞いていたカルト作をやっと観ることが出来て嬉しかった。
嬉しいのは嬉しいが、確かにこの作品、今観ても本当に訳が分からない。という か、全編ツッコミどころだらけで、これを本当に橋本忍が書いたの?という位に酷い。
本編を凄く単純に言うと、愛する存在を奪われたヒロインが、幾たびかの挫折と、多くの人達の慰めを受けながら、それでも最終的に復讐に成功するという、一種のピカレスクロマンと言っても良い。それだけだったら物語に一貫性はある。
だが、ヒロインが何をやってるのだがよく分からない。その愛するべき存在が人ではなく犬であるというのは良しとしよう。そしてその犯人があっという間に分かるのも話の都合上、強引でもまだ納得がいく(それが人気作曲家という偶然もまだ許せる)。ただ、そこで殺害にまで決意する心の過程は全く描写されてない。しかもその殺害方法が一緒にジョギングして、疲労で殺そうというのは、あまりにも斬新すぎて頭が付いていかない。ジョギングを趣味とする犯人の後ろに付いていき、犬を殺した凶器である出刃包丁で脅しながら走らせると言うものだが、それってスポーツ好きの大の大人が死ぬほどの距離を自分も走る訳だよね?最初から無理じゃね?ろ思ってたら、案の定無理。しかも男はいつものジョギングコースを走ってただけで、ヒロインは途中で疲れてついて行けない…なにがしたかったの?
そしてそこから新たな殺害方法を考えるのか?と思いきや、急にやる気を無くして東京を去ってしまう。その程度の覚悟だったの?見ようによっては、スポーツで発散しただけのようにも見えるぞ。
で、滋賀に帰ったら、突然奇妙な恋愛話になっていく。この辺になってくると最早全く別の話。しかもそれが織田信長にまつわる話で(しかも結構な時間時代劇を演出してる)、関わってくるようで最後まで全く意味を持たない。
運命によって結び合わされたと思われた男はすぐに滋賀を去り、ヒロインと結婚しようと言っている男とは全く接触がないので、三角関係にもならない。
それで結婚を心に決めていたヒロインの前に、犬殺しの犯人が突然現れ、“偶然”そこにあった出刃包丁を手に、今度はマラソンの末、そのまま包丁ぶっ刺して殺害。しかも剥き身の包丁持って走ってるのに、誰もそれに関心を持たないし、警察にでも駆け込めば済むのに、男も律儀に、自分が殺されるその瞬間までマラソンにつきあってる。
途中の話は一体何の関わりがあるの?と問われれば、全く関わりを持たないし、何故かCIAの職員とか宇宙飛行士とかと知り合っていながら、それも全く話に関係ないとか…
流石にこの作品、観終わった直後に納得できたのが、この作品が“カルト作”と呼ばれるようになるわけだ。と言うありきたりの感想のみ。しかし、観てる間はなんだか不思議な雰囲気でもあったんだよな。
だからこそ本作には敬意を表して最低点を入れさせていただく。
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