コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] マグノリア(1999/米)

シークエンス別に凝ったカメラワーク、バラバラ加減も愛敬と感じる統一感ある群像劇、所々織り込まれた洒落た演出、充分魅力的な“主演”のトム・クルーズ、それでも、全編に漂う甘ったるさはあの両生類の粘液じみたところがある。
らむたら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







“蛙の雨”かぁ、って僕がこれを観たときに思ったのは実際に“蛙の雨”がアメリカで降ったことを知らない人からすれば力技が強引すぎて顰蹙を買うんじゃないのか? ってな余計な心配。僕は記憶の片隅のどこかに“蛙の雨”が“It did happen”であったことが引っ掛かっていたから、ある意味観客を玩んでいるとか適当にあしらってるかのように誤解されかねないこのシナリオの突飛な意外性の裏に意図された作者のテーマを前振りのエピソードと呼応させつつ自分でも驚くほど案外すんなりと受け入れることができたけど。

“蛙の雨”が降った時、煙突(排気口だったかな?)から落ちてきた蛙が拳銃自殺を図ってこめかみに銃を当てていたジミーの手に当るシーンがあるけど、僕は最初“蛙の雨”が彼の自殺を防いだものとばかり思って勘違いしていた。やたらと涙を流す登場人物の甘ったるさ、悔悟と寛容といった甘ったるいテーマなど妙に優等生的なヒューマニズムが鼻につき始めていた頃だったから、実際に起こった事件を援用したものといっても所詮は奇蹟という名の神=作者の思し召しである“蛙の雨”が自殺を防いだとなると、食傷を通り越して辟易すらしてしまうし、長尺を感じさないように俊才を注いで意匠を凝らしはいてもとどのつまりは安っぽい通俗性を越えないものを感じてしまいげんなりした。ところが後で原作を読んでみると、自殺は成功していた。単に誤認した僕が迂闊だったんだけど、P.T.A.はそれほど通俗的な予定調和で観客の涙をそそるほど落ちぶれていないぞ、と見直したものだ。まあ、僕が誤認したのはスクリーンをろくに観てなかったからだろうけど、集中力が殺がれたのは個人的にはそれほど物語に引き込まれていなかったからだろう。

この映画で洒落てるなと思ったのはこの映画の軸となっているクイズ番組のスポンサーが全米教育財団とP.T.A.となっていたところだな。P.T.A.はPTA とかかっているのかどうか知らないけど、こっそり洒落たことをしやがると思ったものだ。映画フリークの気持ちを擽ることを忘れない大の映画好きでもある製作者の伝統を汲んでいるとは思う。あとテレビ局内で子供たちがマネージャーと父親に連れられて番組セットに向かう途中の長回しも様々な人物の人生が交錯すると同時にこの映画の軸であり登場人物の人生が交錯するテレビ局の内部を途切れることのない視線で把握するカメラワークとしては絶品だと思った。ただアレックス・コックスが『ザ・プレイヤー』を評して「最初の長回しは素晴らしいけど、後のストーリーは駄作」みたいなことを平然といってたけど、カメラワークは単なる技術的些事ではないといっても、内容よりテクニカルな要素である長回しが肯定的に取り上げられる時はテオ・アンゲロプロスの映画でもそうだけど、どこか内容に踏み込むのを避けているところがあると思う。アンゲロプロスの場合とP.T.A.の場合では避ける理由と次元が違うと思われるけど。

この映画の登場人物は泣きすぎるんだよね。看護士の涙は彼の演技と相俟ってかえって好印象なんだけど、末期の父親を前にしたマッキーが彼の内心の怒りと葛藤しつつ悶え、涙ながらに赦すところなんか「勝手にしやがれ」と思っただけでなく途中で観るのを止めて『勝手にしやがれ』を観始めてしまったくらいだもん(嘘)。 それもジャン・リュック・ゴダールじゃなくって黒沢清のね(大嘘)「過去を捨てても過去は追って来る」(だったかな?)というテーマに基づいて、過去の過ちを直視して見つめ直し、悔い改めて赦しを請う側と彼らによる被害という過去から逃れるために素直になれなかったり、現実逃避してたり、虚像を肥大化させていたりしている側がクイズ番組を軸にして綯い合わされた縄のように統一感ある群像劇を展開する、わけではない。一つ一つの素材が一編の映画に耐えうるだけの魅力を持たないから群像劇として綯い合わされている感じがしないでもない。もろちんP.T.A.がそんな志の低い妥協をしたとはいわないが。それでもそれぞれの逸話が“奇蹟”に向かって一焦点法で遠近感のぶれなく一つのテーマを持った大きな物語の流れに収斂しているわけでもない。一見バラバラの逸話がバラバラでありつつもパズルのように全体的には一つの絵画を構成するだけの緻密さや遠目に見ると意想外な騙し絵となるだけの狡猾さがあるわけでもない。一つ一つ浅薄で退屈な逸話が陳腐で退屈なテーマの元で雑然とごった煮されているだけのようにも思えてしまうのだ。鍋の味付けがいまいちだから味をごまかすために取り合えず醤油を大量にぶち込んどくか、との意味合いで蛙の粘液という調味料がぶち込まれたとはいわないけど。結論としてはP.T.A.には並々ならない才能を感じるのは確かだし、映画自体も辛口批評したわりには30歳で撮ったと思えば秀抜だと思うけど、群像とテーマに基づく彼らの関係が奇蹟に向かって見事に収斂していく、とは思えないだけ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] torinoshield[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。