[コメント] さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅(1981/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
2002年2月23日、再度ビデオで見直しました。ツッコミどころも満載、あれれやっちゃったよという点も満載。しかし、私が少年時代にこの映画に受けた影響は多大で、また数年前のエピソードも重なり、個人的な思い入れとともに、★5は不変のものです。以下ツッコミどころから
−−−−−ツッコミどころ−−−−−
まず、乗り遅れそうになる車掌さん、車掌失格(笑) しょっぱな劇的に作りすぎ。地球から飛び立つ際、上空に伸びる線路(ブリッジ?アプローチ?)が崩れる姿を車掌さんと鉄郎は「うわぁぁぁ〜」と心配そうに見ています。しかし、999が飛び立つのに必要ないように思えます。前作や他の惑星(衛星も含む)から飛び立つ際には、そんな物無くても平然と飛んでおります。
メーテルさん、「引き返せないのよ、降りるならこの星よ」などと言いながら、幽霊列車に近づいて気絶した鉄郎を列車に乗せて介抱していたのはあなたじゃないんですか?と聞きたい
また、どーでもいいのですが、鉄郎君はカッコイイ時の顔とびっくらこいた時の顔との落差がはげしい。この点は前作と同様。お約束のような部分でもあります。
−−−−−−私に与えた大きな影響など−−−−−
永遠の命、機械人間。死に対する漠然とした恐怖は、少年時代の私にも例外なく襲い掛かっていました(当然、今でもそれが無くなったとは決していえません)。この作品中、現れる思想は「永遠の命にそれほどの価値があるのか」という点だと思います。
人の命の犠牲の上に立つものとして描かれる永遠の命。そして、私にとってはとても大切な「食」の楽しみ等をなくした永遠の命。はたしてどれだけの価値があるのか。すんなりと、血の通った人間として生きることに、自分なりの答えを見つけたかのように感じたものでした。
当然ながら、それが生命に対する私の認識に一つの「答え」を出した訳ではありません。一つのきっかけとして、この作品は決して忘れることのできないものです。
−−−−−−数年前のエピソード−−−−−−
これがまたこの作品を忘れられなくさせたものでもあります。(というか、忘れていなかったからこそなのですが。)
当時私がつきあっていた女性の母親が、白血病にかかりました。余命は少なかったそうです。当時の私はそのことは知りませんでした。
彼女は、テレビ放映していた「銀河鉄道999」を毎回楽しみに見ていたそうです(話をしていたときにそう言っていました)。「永遠の命なんてあるのかね〜」と。私は、記憶の中に明確に刻まれていたこの作品の話をしました。機械人間の永遠の命は、人間の命の上に成り立っているんだということを、ネタバレしたわけです。最悪ですね。
その時の彼女の顔は、忘れることはできません。「そうなんだ」と悲しそうな顔をされていました。その約1年後、彼女はこの世を去りました。私には、嫌でも一生忘れられない事件です。
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