[コメント] 夏時間の大人たち(1997/日)
冬から春へ幻想を暖めてきたひとびとは、否応なしに夏に現実に直面させられ、哲学的にならざるを得ない。現実に一度でも敗北した者は一生敗北者だとの言葉を、サマータイムで大人に格上げされている子供は叩き込まれる。タカシの懊悩は尽きない。
『愛欲の彼方に』で根津甚八があれほど過ちを繰り返すのも、子供の頃なにかに敗北したからなのか。そして、あの世界が夏だからなのか…って、そんな馬鹿な!?
かくいう俺は岸辺一徳の苦悩がよく判る。天才少年だと誤解されていた小学生の俺は、作文や絵画のコンクールを総ナメにした。だがそこに出品された作品は画才のある父と、文才に恵まれた母、そして教師に手を加えられた、自分では「おのれの作品」と認めたくない作品群だったのだ。
賞状を踏みにじる少年であった俺は、同時に逆上がりも跳び箱もできず、こうして敗北者の人生をたどっているワケである…といっては身もふたもないが、これはあくまで『夏時間(という異常な「きまり」の中で無理やり大人としての心構えを説かれている、まだ幼い姿)の大人たち』への応援歌であり、その中でもうチャレンジャーとはなり得ない大人たちにも、監督の年齢なりの共感を一たらししたお話だ。大人は未来の担い手に羨望の思いを抱きながら、彼らの背中を押してやるくらいにとどめた方がいい。中島監督はそれほど甘くはないよ。
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