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[コメント] 機動警察パトレイバー 劇場版(1989/日)

「空洞」の映画。「ゾンビ」としての「レイバー(容器)+HOS(共同幻想)」=「眠れる人間」。繕われ、「意図的」に忘れ去られる「過去」からの落とし前。さよなら、「空洞のにっぽん」。そして「空洞」を埋めるのは・・・なんと「知恵と勇気!」
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







オープニング、暴走する軍用レイバーの無人のコックピット。文字通りの「無人」だが、これは「判断力の不在」と言い換えることも出来る。単一OS(=共通の意識)をインストールされて自前の思考力を失った「レイバー」(労働者)という名の「機械」が一斉に「暴走」し、「トリガー」となった都市空間そのものを破壊していく時、「仮想」(=共同幻想)の中で眠り続ける人間達、欺瞞に満ちた都市を描いてきた押井のテーマが、今や初期作品として位置づけられる本作にもいやでも滲んでいるのではないだろうか。

「共通の意識」であるHOSが企業間の資本主義的論理や急速な都市計画、官僚主義的な警察機構の権謀術数の中でこねくりまわされた挙げ句に都市空間に拡散していくという筋立てもあまりにも的確という他ない。この辺の「無為=空虚」描写が押井はいつもいやに丁寧だが、おそらく押井はこのこねくりまわしが好きなのではなくして、「嫌い」なのだろう。「嫌い」だからこそ緻密に描けることもある。

そして、果たして「機械は機械」なのか。「機械化される人間」や「人間化される機械」に思いが至ることはないか。「方舟」のレイバー達が二課の面々に一斉に襲いかかるとき、それはロボットという無機物に襲われているという恐怖感覚よりも、何か「ただ襲う」という共通意識のみによって動く「ゾンビ」のようなものに襲われているようなおぞましさを生んでいるのではないか。(『ゾンビ』が痛烈な社会批判であったことには誰しも異論はないところだと思います)

居所を変え、「空洞」と化した廃屋巡りの虚脱感を刑事達に強いる帆場。その足跡に無数の「空っぽの鳥かご」を残して行く。過去を一文の値打ちもないものとして破壊し、天を目指してきた日本的都市という「空洞」を吹き抜ける「風」が「トリガー」となる。「トリガー」を「にっぽんの虚無」に起因させるという思想的知能犯。帆場のトラップの動機と「トリガー」、目的と結果が互いに全く矛盾せずに実を結んでいくとき。そして冒頭で海に身を投げ、ゴースト(文字通り幽霊という意味での)として映画空間の永遠の命を持って帆場が君臨するとき、この物語が全て帆場の思想が成就し、その思想を認めざるを得ないところから始まっていることに気づかざるを得ない。

「だから!遅すぎたと言ってるんだ!」(PART2 後藤隊長の言)

しかし、帆場がその「思想」への理解へ、巧妙に後藤達を導くヒントも残していることを忘れてはならない。

だから、最初の帆場の「笑み」が、後藤に言わしめるように自身の勝利を確信した「冷笑」であったのか、というのは私には分からない。最後には敗れることを望み、そしてそれを予見していたからこその「自嘲」なのか、「希望の笑み」なのか。

「空洞」の「巨人達」を乗せた「空洞の方舟」を「どこまでもヒト」である特車二課の面々が「撃沈」するとき。泉が零式の「延髄」を自らの手で断ち切るとき。いずれに振れても帆場の目論見が成就したとはいえ、敗北を約されてもなお闘う二課の面々を目の当たりにして、ゴーストとなった帆場がどんな表情をしていたかと考えることは実に愉しいではないか。

そう、「空洞」を満たすのは、本来「空洞」であるレイバー(旧式アルフォンス)に命を吹き込む野明と遊馬の合い言葉。そして整備課長の親父の言葉。「ヒトの知恵と勇気!」なのである。マジで!?そう、押井さんの言っていることはいつもシンプルで熱いのだ。この言葉を恥ずかしげもなく言ってのける設定として「パトレイバー」のキャラクタが生きてくる。巧妙というほかない。

単純に「コンピュータ時代」の破綻予言を企図したものではなく、より深く日本を撃とうとしたものであったことは、明白である。どこまでも押井さん(+伊藤さん)の都市・にっぽん批判のメタファー地獄(天国)映画である。

帆場の幽霊のID→666について 「666とは獣の数字である。ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である。」

ウィキで「獣の数字」を引いてから観るとサブコントロール室のシークエンスで頭が沸騰するから注意。

・・・とベタぼめでここまで来ましたが、微妙にヒヨってる沖浦作画と川井楽曲のすっぽ抜け(松井さんのシークエンスはいい。問題なのは活劇部分のブラスパート)や冒頭のアクション演出が恥ずかしくていただけず、ちゃっかりラブストーリーまでに深化させたPART2のっより硬派な深みとどうしても比べてしまい、★4にとどまる。

・・・まあ原作もOVもよく知らないのであんまり滅多なことは言えないのですが。商業的な要請もあったと思いますしね。大変だろうなあ、映画監督って。

(評価:★4)

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