[コメント] 「A」(1998/日)
先に書籍(『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』角川文庫)を読んでいたので、内容や裏側は概ね知った上の鑑賞だが、実際に「転び公妨」のシーンを見せ付けられると、胸糞が悪くなる。それは、どっちが悪なのか単純に判別できない現実。 2006年12月7日DVD鑑賞
別にオウムを正当化する気は更々無いのだが、彼らのことを真っ向から否定することが出来なくなった。その意味で、本作品が僕に与えたショックは大きなものだ。
「転び公妨」とは、わざと軽く転ぶことで「怪我をした」などと偽り、公務執行妨害でしょっぴいてしまうことらしい。よく使われることらしいのだ。他にも、普通にオウムに同行してドキュメンタリーを撮っていると、大体、警察から職質されたり、あるいは同業のマスコミから質問されてみたり、あるいは警察官を撮影していると止められたり――そこには、普通に日常メディアを媒介にして僕たちが――と言っても、これは僕の主観だが――眺めてきた「オウム」とは別の姿がある。そして、僕は、この姿に直面し、どちらが虚像でどちらが実像の「オウム」なのかを判別できなくなり、判断不能に陥る。
◇
世間にはオウムに関する書籍は山ほどある。それだけこの事件に関する社会的注目度は高かったのは、当時僕がまだただの糞ガキだったにも関わらずよくわかる。
しかし、こういった立場からオウムを見た人というのは、恐らく皆無なのではないだろうか。そして、こういった立場から――時期的にも「いまさら」という時期に――オウムを撮った、この森達也という人は、本当に誠実で、凄く誠実な人なのだなと、つくづく思う。
それは、この映画の『「A」』というタイトルに象徴されていることだろう。
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