[コメント] 「A」(1998/日)
(毎度ながら)余りに露骨な警察のデッチ挙げ逮捕のシーンの衝撃に暗澹たる思いがする。世間の憎悪を一身に浴びながら何とか凌いでゆく荒木氏の姿に、「殺人集団」とのギャップの激しさを感じ、人間とはなんなのか、つくづく考えさせられる。
彼らの集団生活は「新しき村」というか、寧ろそこらのアニ研か文芸部のような風景で、サマーキャンプのようでもあった。
映像の中の荒木氏の行動や発言は概ね全く正当で理解できる。しかし時に一般常識から跳躍した発言が信者の口から飛び出し私との彼我を露にもする。しかし宗教者の発言として、或る程度非科学的なことを言ってもおかしくはない訳で、私の理解の外にあるひと達という印象は全くない。
とするならば、この集団への憎悪と迫害は何なのか? 無論、あの無差別殺人をした集団への憎悪と迫害に違いないのだが、その憎悪と迫害と、実際にそれに曝されるものとのギャップは一体何なのか? 彼らがまたあの事件を起し得るならば、私たちも何時でも同じことを起し得るのではないか?
完成度がものをいう映像と、対象のみで突きつけてくる映像がある。この作品は日本人にとって後者の好例。
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