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[コメント] 王将一代(1955/日)

阪妻版より長い期間を一篇に押し込めて描写は淡泊、辰巳柳太郎なのに三吉は印象散漫で、収束に至っては訳が判らない。現像失敗などトラブルが多かったらしく、不幸な一作なのだろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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主役の死で続編つくれなかった阪妻版。本作は改めて阪妻版の最初から始めて後半生を描くが、それでも復活を誓う70代の途中で終わってしまう。

阪妻版と重なる前半は明らかに描写の密度が足りない。長女の木暮実千代は三條美紀同様、関根(なぜか入江と直している)島田正吾を破った2五銀の奇手をハッタリだと三吉を責めるのだが、そこには親子で通うものがあるという茫漠とした説明しかない。三條の場合は幼少の折から視力の弱った三吉の駒並べを助けて、習わぬ経を詠む聡明な娘、女性に冷たい将棋界、という見事な含みがあったのが、これがきれいに消し去られている。女房小春田中絹代の改心も、水戸光子の線路での心中未遂の危うさを略して科白で済ませて淡泊。こんなものならもう一度撮る必要などなかった。阪妻版の続きから主役替えて始めれば良かったのにと思う。

関根に勝ち越すのに教養人格を否定されて名人位貰えず、地元有力者の田中春男三島雅夫に担がれて関西名人を襲名。それで東西は断交するも、東京が新連盟に鞍替えすると関西の若手は退去して東京に流れていった。田中も三島もこれを追認、梯子外されて頑固者の三吉だけが孤立する。この関西の連盟の三角の階段を鳥瞰で撮るショットがいい表現だった。田中の提言「目え瞑って東京へ頭下げておくんなさい」に従って関根と対戦してボロ負け。満州帰りの長女木暮(駆け落ちした弟子は汽車のなかで大道詰将棋を出題して稼いでいるという描写があった)が観戦に来るが父に合わずに去る。お寺での対局、障子の内側が明滅してそれがフラッシュの光、外から終局が判るという印象的なショットがある。

ここまでの事実をどうまとめ上げるかが問われたのだが、映画は不思議な終わり方をする。次女の香川京子に将棋やめた帰ろと一旦嘆くも、負けた将棋に妙手みつけてやる気になり、小春の空車と三台連ねて人力車で洋々帰路、しかし弟子の沼田曜一らは自動車で転覆(死んだのだろう)、この事故がよく撮れているのだが、それを知らずに人力車ででんでん太鼓叩いて水無瀬の妙見はんに向かう三吉、とは実話なのだろうか、ともかくアイロニーなのだろう。それにしてもヘンな終わり方で特に感想が湧かなかった。

でんでん太鼓叩く妙見はんへの祈祷の手厚さは前作同様で、辰巳は砂浜でも叩いている。長屋の向こうに通天閣があり、下から機関車の煙が上がるセットは前作と同じ。後半には石畳になる。通天閣の電飾は「ライオン」になっている。升田幸三指導とある。

(評価:★2)

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