[コメント] ディーバ(1981/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ジャン=ジャック・ベネックスが2022年1月に亡くなって、その追悼上映デジタルリマスターだってんで映画館に足を運んだんですがね、正直言うと今までジャン=ジャック・ベネックスとはご縁がありませんで。ええええ、どうせ『ベティ・ブルー』も観てませんよ。 この時代、日本のミニシアターブームも重なって、この手の監督がやたら流行りましたよね。レオス・カラックスとかリュック・ベッソンとか。
撮影とか編集とか面白いんです。話はチープだけど、それが悪いわけじゃない。こないだ死んだゴダールは「車と女と拳銃があれば一本の映画が撮れる」とかなんとか言ったのかな?まあ、そういうテイストと似ています。ただゴダールは、スカしていてもどこかに60年代的な熱気を帯びていた気がします。本人が政治を語りたがっているせいもありますが。 ところがこの映画は、80年代の匂いなのです。そのチープさが、本当にチープなんだ。そのお洒落な感じが80年代的な軽薄短小なんだ。それはたぶん誰のせいでもなくて、60年代と80年代の背負っているものの違いなんだと思うんです。
この映画の外連味は嫌いじゃありません。80年代は外連味の(あるいは奇抜さの)時代だったようにも思います。レオス・カラックスが相変わらず変なことやってるのは、その名残ですよ。一方、リュック・ベッソンはハリウッド志向になっていくのですが、それだって外連味だった気がしますよ。もっとも、今の時代に観ると「あざとい」印象もありますが。
ただこの映画、話がチープなのは構わないんですけど、話がダメなんだ。歌姫である意味がないよね。例えば、人気作家の未発表原稿でも成り立つ話だもの。実際アン・ハサウェイはそのために奔走させられるもの(<『プラダを着た悪魔』の話をしています)。黒革の手帳だっていいんだぜ(<松本清張の話をしています)。 歌手にしちゃったばっかりに「何故レコーディングが嫌か」って理由を無理矢理作らなければならないのに、歌手の設定が活かされていない。そう考えると、ヒッチコック『知りすぎていた男』の歌手設定の活かし方なんか、鳥肌が立つほど神業なんですよね。
でもね、「オープンリール」はジャン=ジャック・ベネックスの良心だと思うんです。「映画の小道具」としては、告発が録音されているのと同じ「カセットテープ」が正解なんです。だって、それが入れ違うサスペンスに使えるから。でもね、カセットテープじゃ「最高音質の録音」ってことにはなり得ない。カセットテープとオープンリールテープとじゃ、音質が全然違うからね。「その最高音質の録音のためのマイクはどうしたのさ!?」という大いなる疑問があるにもかかわらず、録音テープだけはこだわりを見せるジャン=ジャック・ベネックスがちょっと可愛い。
余談
ジャン=ピエール・ジュネ作品でお馴染みドミニク・ピノンのデビュー作だったんですね。
(2022.09.18 ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞)
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