[コメント] 悪魔の発明(1959/チェコスロバキア)
ゼマンの画面は美しい。様々な手法のコラージュで構成された画面には、ため息が出るほどだ。その意味で、工芸品としてゼマン映画が評価されるのは理解できる。しかし、映画としては全然ダメだ。ゼマンは好んでジュール・ヴェルヌを映像化するが、オレに言わせればこいつは何も判ってない。こんなド素人がヴェルヌの文学を映像化してはダメなんです。
ゼマンは本作しかり『彗星に乗って』しかり、退屈なる古典として、懐古趣味のシンボルとして「のみ」ヴェルヌを捉えている。しかしハッキリ言って、ヴェルヌ文学がゼマンの箱庭的世界には収まると思ったら大間違いである。オレはこの映画を観てまず「ナメられたもんだな」と思った。ゼマンの映画はあまりにもちっちゃいんですよ。盆栽みたいな映画も悪くはないんだけど、ヴェルヌの文学にははるか遠くを望む眼差し、距離的なスケール感、なにより胸焦がす大ロマンが不可欠なんです。
老人の懐古趣味じゃダメなんです、そこに本気のロマンはないから。ゼマンの映画は空気が停滞していて、冒険の匂いがビタ一文しない。それは、ゼマンがヴェルヌの物語を本気で読まず、本の中ですら同時代を生きていないからだ。豪腕と純情を併せ持った黒澤明のような人でないと、ヴェルヌ文学を本当に映像化することはできないと思う。
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