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[コメント] ショコラ(1988/仏)

浜から撮った海辺。波のストップモーション。やゝあって動き出すと画面奥に黒人の男性と子供が小さく見えている。こゝにクレジット。曇天。クレジットが終わると、右にパンして浜辺の流木に座る女性−ミレーユ・ペリエが映る。
ゑぎ

 また、波打ち際に仰向けで寝る男性と子供。チョコレート色の肌。海の砂も黒っぽく、海水も暗い。浜辺の女性の名前はフランス。彼女の少女時代の回想がメインのプロットになる。舞台は北カメルーン。フランスの家族は、植民地行政官の父親マルク−フランソワ・クリュゼと母親のエメ−ジュリア・ボッシ。そして使用人は複数人いるが、若い男性・プロテ−イザック・ド・バンコレが身近にいて何かと世話を焼く執事のような役割だ。彼らの最初のシーンは、道路で車を停めて休憩をする場面だが、プロテはバターを塗ったパンの上に蟻を何匹も置いて食べ、幼いフランスにも食べさせる。なぞなぞ。道の黒い糸は何?蟻。2人の関係を印象付ける。

 お父さんのマルクは、妻子を官邸に置いて、視察の旅に出る。官邸は、8本柱のポーチテラスのある立派なもの。テラスの縦構図は西部劇みたい、と思いながら見る。他にも、荒野を乗馬で行くマルクたちの大俯瞰も西部劇みたい(どこから撮ったのだろう)。あるいは、角のある牛の群れを追う男たちの場面もある。

 前半の重要部分として、英国人の知人の訪問とプロテが正装して接待する夜の場面なんかもあるが、プロテが使用人用のシャワー(屋外にある)を浴びるシーンを指摘すべきと思う。プロテの後景にはエメとフランスがいる縦構図。エメを見て泣くプロテ。

 そして、プロットの転機となるのが、飛行機の不時着というアクシデントで、これにより、操縦士、副操縦士、乗客だったコーヒー農園主、別の地区の行政官夫婦をフランスたちが住む官邸に受け入れることになる。彼らの中では、農園主の傍若無人さがいい。家政婦と皆に紹介する黒人女性を連れているのだが、性奴隷のような存在だろう。しかし、部屋にいる家政婦に農園主が食物を持って行ってやるような優しい一面もある。あるいは、差別意識丸出しの農園主に対して、毅然と対応する現地人が描かれ、同時にそれを見るエメが現地人側に立つ、というリベラルな感覚もうかがえる良い場面になる。

 また、滑走路建設のために集められた人夫の中に、リュック−ジャン=クロード・アドランという元々神学者だった白人がおり、彼が、プロットのかき混ぜ役になる。マルクから自邸に来るよう云われたリュックは、ポーチで寝たり、使用人の中で生活するのだが、リュックにも、使用人用のシャワーを使うシーンがあり、画面奥のエメに裸身を見せる。これを縦構図で示すのだ。

 クライマックスは、プロテのエメに対する思慕、あるいはエメの孤独が、リュックという闖入者によって、急き立てられたかのように変化する部分だと思うが、詳らかに書くことは自制して、これぐらいにしておこう。あとは、発電機のクダリ、そして不時着した飛行機の修繕が終わり、滑走路も完成し、飛行機が旅立つ場面も良いシーンだ。なぜか、乗馬した男たちが飛行機を追いかける。砂煙の中の3騎を捉えたショットがいい。続けて、ジャングルのような木々の横移動ショットで冒頭の時間軸、大人のフランスの時間に戻る処理も驚きがある。この後の、エピローグのような空港の貨物係の男性3人のシーンは意味不明だが、男たちの動かし方とゆっくり移動で寄るショットは悪くない。陽気な劇伴もいい。

(評価:★4)

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