[コメント] 愛の嵐(1973/伊)
回想シーンの絶対量が少ない。だが、それが二人の表層の主従関係、ハーケンクロイツの下にある絶対的な愛の凄みを味わい深くし、ただただ圧倒される効果を施している。戦争の功罪を男女で立証してこようとする心意気は恋愛そのものに対する賛歌ではなかろうか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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愛が生まれる瞬間。それはいつ訪れるか誰にも分からない。分かる身分だったとしても、真実の愛が訪れたのか、それが分かる身分であってしても分かり得ない。
彼女の苦悩と彼の苦悩は痛みを伴って、目に訴えかけてきた。ただ純粋に相手が好きだから逢っているのに、外的要因がそれを良しとしない。戦後から今に至るまでの時間が一番全体主義、つまりファシズムであるという民主主義の陰部の典型例が橋の上に死体となって転がっていたのではないだろうか。
確かに彼は多くを殺した。さらに彼女は多くの死者によって美しさが“たまたま”引き立ち目立ち男に見初められてしまった、この障壁、後ろめたさ。二人の背負った罪が彼等二人の時間に消え去ることなく次の時間に繰り越されてしまった瞬間、凍り付いた。
死が分かつまで愛していた二人の一生は荒廃した心が散乱する街の陰鬱な曇り空によって、輝いていたのは凄く美しく見えた。
追記_________________
この愛憎悲劇は人類最大の普遍的テーマ、目で聴く愛の賛歌はいつも辛くなるばかり。戦争は血を好み、愛は困難を好むのか。この二重拘束からの解放は死によってしか成しえないことなのか。
託された答えが今日常に展開されたがって待っている。
2003/5/12
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