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[コメント] 水で書かれた物語(1965/日)

さて、吉田喜重はファインダーを覗くタイプの監督だろうか(先に書いておくが正解は知らない)。
ゑぎ

 全ての監督作の全てのカットで、徹底して審美的な構図を求めた人(という印象)なので、当然ながら、小津のように全て自分でファインダーを覗いて確認したのではないかと推量するのが普通と思う。だが、私はそうとうも限らないのではないかと考える。撮影現場では撮影者(と照明マン)に任せてしまっても、事前の打ち合わせ等でどんな画を撮りたいか意識合わせし、絵コンテや(吉田はコンテを作らなかったという話を聞くが)、現場での被写体の配置や動きを決めれば、監督の求める画面の一貫性は、ほゞ保持できるのではないだろうか。だからこそ(特に、かつてのスタジオシステムにおいては)、優れた監督の映画は撮影者が代わっても一定の品質が担保されているのだと思うのだ(単純化し過ぎた物云いをしているとは思うが)。

 本作も全編に亘ってシネスコサイズのアスペクト比を徹底的に活用した見事な構図のショットばかりだ。プロットは非常に通俗的なもので、目新しさのないメロドラマだが、撮影の面白さで映画を成立させている典型的な作品と思う。繰り返される道具立てとしては、タイトルにもある通り水及び液体があり、あるホテルの浴場(湯船)の場面が時代を越えて何度も反復されるし、ラストの湖も顕著だ。他にも水(液体)の例として、川遊びをする少年が、口から水を吐くだとか(あからさまな射精の隠喩)、喀血シーンなんかもある。

 また、その他の反復されるイメージでは、列車と線路(列車の通過でフラッシュバックを繋ぐ趣向)、岡田茉莉子が日傘をさして歩くイメージ(岡田の息子−入川保則の窃視の画面)、鏡と窓の活用なんかも指摘したくなる。鏡の活用では、岡田の部屋でも、入川の結婚相手−浅丘ルリ子の部屋でも同じような姿見があり、例えば男女の打擲が映されたりする。あるいは、入川の子供時代のシーンで、線路を走る少年のアクロバティックなローアングルを見せた後、庭にいる入川の俯瞰と屋敷の階上の窓(欄干)にいる浅丘の仰角での会話シーンを繰り出すカッティングなんかにもガンと殴られたような感覚を持つ。

 主演はビリング通り岡田茉莉子で異論はないが、その息子を演じる入川がプロット上は主人公と云うべきだろう。彼と浅丘との結婚話とその生活、いやそれ以上に、彼の母親へ対する感情が、少年時代のフラッシュバックを複雑に交錯させながら描かれていく。岡田は32歳頃、入川が26歳、浅丘は25歳頃で、岡田と浅丘は同じぐらい綺麗だが、役割上どうしても岡田の方に分がある(もっともアップになると、浅丘の方が肌が綺麗と感じるところもある)。また、岡田は、息子が少年時代においても、入川になってからの場面でも、ほとんど同じルックスなのだ(老けメイクをほとんどしていない)。この点も、面白い趣向だと思う。例えば、唐突に繋がれた日傘をさして歩く岡田のショットが、いったいどの時代のものなのか、よく分からない、それは、入川が見た現在の岡田かも知れないし、入川のフラッシュバックかも知れない、といった面白さがあるということだ(これを面白がることができる人には、ということですが)。

#備忘でその他の配役などを記述します。

・浅丘の父親で百貨店経営者の山形勲。彼の家の老女中に田中筆子

・入川の父親(岡田の夫)は岸田森

・入川が勤める銀行の支店長は桑山正一。山形の百貨店の社員で中村孝雄

・岡田は華道のお師匠さん。生徒みさ子さんは加代キミ子。芸者の花絵は弓恵子

(評価:★3)

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