[コメント] 名もなく貧しく美しく(1961/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
戦後数多く作られた社会派作品の脚本家と知られた松山善三の監督デビュー作。松山脚本は一貫した人道主義に立ち、その上でエンターテインメント性を高めた作風が特徴だが、本作では監督としてもその実力を遺憾なく発揮。妻の高峰秀子を主役とした本作は評論家からも高く評価され、1960年邦画興行成績8位と社会派作品にしては珍しく興行的にも成功する。
一応「エンターテインメント」とはいえ、本作の設定は無茶苦茶きつい。昔の日本は特にしょうがい者には厳しい社会で、それだけで言われ無き迫害を受けていたし、現実に生活そのものがとても苦しい。更にはそんな肉親がいると言うだけで家族までが迫害に遭うというもの。それを直球で描いてしまったのだから。観てるだけでキツイと思える描写が続き、観てるだけで体力を消耗しそうな気分にさせられてしまう。
しかしながら、それでも本作は全く目を離せない。それは、主人公の秋子であれ、道夫であれ、どんな迫害を受けていても、生きる希望を決して捨てていないという一点にこそあったから。どんなに苦しくても生きていこうとする意志がそこにはあった。生きることが彼らにとっては一番の目的だったのだろう。その中でたとえ悲しみがあろうと、苦しさがあろうと、真っ正面からそれを受け止めつつも、生きていく。だからこそ本作は最後まで希望を演出できたのだろう。
生きていこうとする意志を描くというのは、実は最も重要で、最も難しい描き方だと思う。いかにして生きるべきか。というテーマは時代と共に描写がどんどん変わっていくものだが、この作品ではひたすらストレートど真ん中。どんなに大変でも逃げずに真っ正面からそれに挑み、描ききった松山監督の実力は特筆すべきだし、初監督でよくここまでまっすぐな作品を作れたものだ。
社会派作品は低予算が多いが、本作に限っては、しっかり予算が取ってあったのも良かった。内容がとても骨太なのだから、それを支える屋台骨がしっかりしてないと、設定先行でちぐはぐなものになってしまいがち。それを支えるのが製作費だとすれば、この当時の邦画の力強さってものをしっかり見せてくれた。
何より役者の巧さが光る。松山監督は高峰秀子の夫だが、連れ合いだからこそ、ここまでの汚れ役をやらせることが出来たのだろうし、しかもその中でもとびきり輝いた演技を引き出せた。更に何も言わず黙って(文字通り)彼女を支える夫を演じた小林桂樹の演技も素晴らしい。一人だと倒れてしまうかもしれない現実を二人で支えることで立ち続けられたのだ。二人一組で一つの人生だったのだな。ラストで秋子が亡くなってすぐに道夫が亡くなってしまったと言う事が示されているが、それも二人で一つと言う事を表していたのだろう。
それにしても最後のあのどんでん返し…というかちゃぶ台返しは本当にどきっとした。最後の最後、加山雄三が登場して爽やかな笑顔を見せた次の瞬間にあんな事になるとは予想だにせず。やってくれるよな。でも、このラストあってこそ、本当のエンディングなんだろう。ドシッとした重さと共に、本当に「観て良かった」としみじみ思わせるラストシーンだった。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。