コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 桜桃の味(1997/イラン)

常に主人公が何らかの「謎」を抱え込んでおり、これが観客の注意を引きつけ続ける。延々と土砂ばかりが続く殺風景な風景は、彼の心象そのものかと思える。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「謎」は、この男が他人に何を依頼したがっているのか、や、なぜ死にたいのか、なぜ急にバゲリ老人を追いかけたのか、本当に死ぬ気なのか、更には、死んだのかどうなのか、といった形で展開し、最後まで幾つか謎を残したまま、ラストシーンそのものが謎として終わる。

主人公バディは最初の内、誰かとしきりに話をしたがっているように見える。だが、彼は「仕事」を頼みたいだけなのであり、いざその話になると、彼は対話になど興味は無く、相手が引き受けてくれるかどうか、仕事を完遂してくれるかどうかだけに興味を移す。

最初に声をかけた男からは邪険にされ、車に乗せた若い兵士には、「仕事」の内容を告げた事で逃げ出され、神学生とは価値観の面で断絶する。二人とも、それぞれの形で生死に関る立場の人間ではあるのだが。最後に仕事を引き受けたバゲリ老人も、解剖学を講義する仕事をしており、これまた生死に関る内容だ。

バゲリと出会う直前のシーンでバディは、工事現場で大量に流れ落ちる土砂に映る自分の影を見つめていたり、舞い上がる砂埃に埋もれるようにして座り込んでいたりと、魂は半ば既に土に埋められているように見える。と、次のシーンで、既に彼はバゲリに向かって仕事内容の確認をしている。それまで実時間に沿うように場面が展開していたので、ここでの時間の突然の短縮には驚かされる。

バゲリは、かつて自分が、桜桃(さくらんぼ)の味によって死を思い留まった事や、世界に充ち溢れる美を貴方は無視できるのか、という長い話をしていく。それまでの、土と石と埃による乾いた光景から、少しずつ、空に引かれた飛行機雲のような何げない光景が挿し込まれていくようになる。バディは既に死の儀式を行なう腹づもりのようでいるから、観客の方でも、眼前の光景を、明日は見られない光景のようにして見る事になる。

思えば、バディが埋まろうとしていた穴の場面では常に、画面のフレーム外で犬が、生の証しのように、しきりに吠えていた。生は、バディに常に呼びかけていたのではないか。バディがあの穴の場所で最期(?)に見ていた夜景、稲妻による夜の鳴動、雨による自然の響き、黒い雲から覗く満月の透明感。これらが見せる美しさは、死を選んだとしたら、二度と見る事が出来ない。あの、メタフィクション的なラスト、映画撮影の撤収は、バディの生死を観客に告げないままに、カメラが捉えてきた美の喪失という出来事を体験させる為のものだったのではないか。

バディは、死にたい理由が明らかにされないので、その絶望の深さも憶測のしようがない。その事は、バゲリもまた言っていた事なのだが。その上、最後に彼が死んだのかどうかも明らかにされないので、なおさら、その絶望の程度や質が分からない。この「分からない」という事を最後まで残しておく事こそが肝心だったのだろう。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。