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[コメント] 火垂るの墓(1988/日)

ラストシーンの映像は、心に深く突き刺さって、今も息が苦しくなる。 (14・9・27:Review追加)・・・一番弱いものが責められるっていうのはどうしてなんだろう。
マノン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







書くのどうしようと思ったんだけど・・・。

この映画の悲しい結末を、清太の我侭や怠惰のせいだと言い切る人は、よほど14歳だった頃の自分に自信があるに違いない。情緒的ではなく、我慢強く、どんなに自尊心を奪われるような生活の中でも卑屈にならずにすむほどのしっかりとした自己確認が出来ていたのだろう。 もちろんそれは凄いことだ。 でも私は違う。私にはとても彼を「自業自得」なんて責めることは出来ない。

私がまだ清太と同じくらいの頃、親が突然入院した。 預けられた親戚の家での最初の夜に、伯母夫婦に部屋に呼ばれて、私は親の病名とすぐ手術を受けなければならないこと、そして助からない可能性も高いことを知らされた。 もしもあんたの親が死んだ時にはうちであんたを引き取ることになる、と言われて私は凍りついた。 私の家は親ひとり子ひとりだったし、付き合いのある親戚もそういなかったので、確かにそれはそうだったのだけれど。

幸い親は命を取り止めたが、いつ又急変するか解らない長い入院生活が続いた。 退院できるまで、私は伯母の家で生活するはずだった。 でも・・・。結局、それは長くは続かず、私は一ヶ月くらいで誰もいない実家に戻ったのだ。 何故なら、自分のことを「やっかいもの」だと自覚して、更に「感謝」しなければならない生活に耐えられなかったから。

親は私にかかる生活費を、先に充分伯母夫婦に渡していた。 そして別に伯母夫婦は特別酷い人間でもないと思う。それでも、身を守る術を何も持たない無力な子どもが他人の家で暮らすというのは、そう甘いもんじゃないのだ。 物凄く理不尽な目に遭わされても、全く誰にも庇ってはもらえない。どころか、反って「世話になっているのにあつかましい。それくらい我慢しろ」とか言われてしまう。 後、家の中で何か問題が起こったら何故か何でもその子どものせいにされたりとかね。 (言っておくけど、どんなに家のことを手伝っても「やっかいもの」は「やっかいもの」。 その家の子どもと同じように扱われることは絶対ない。) 自分のことをずうっと「やっかいもの」だと思って暮らすことがどんなに辛いことか。それは日々「自尊心」が失われていく毎日でした。

この平和な時代に、裕福な親戚の家に預けられた私でさえ辛かったことが、あの誰もが自分が生きることで手一杯だった頃ならどれほどの酷い痛みがあったことだろう。 叔母さんの家で、素直になれず膝を抱えこむ清太の気持ちは、私には悲しいほど解る。 耐えきれない混乱と孤独と心細さ。そしてそんな自分を必死で守ろうとして、殻の中に閉じ篭る。 閉じ篭らなきゃ、壊れてしまう。 今まで余裕のあるお家で大切に育てられていたであろう彼。そして普通の子よりずっと繊細な精神を持ち、プライドの高い子どもである彼に、どうして早急に事態を現実的に理解し、行動することができたたろうか?

私は清太をどこまでも庇ってあげたい。味方になってあげたい。 あの子は我侭でも怠け者でもない。ただひたすら一生懸命だったはず。自分と小さな妹を守る為に。 「あんな時代に繊細な心なんて持ってる方が悪い。清太がもっと頑丈な神経を持ってたら妹も死なずにすんだのだ」なんて言う人には、本当は何を言っても仕方ないんだろう。 誰かが悪者にならなきゃ気がすまないのだろうから。でも、それはどうして・・・?

悪いのは清太でも叔母さんでも誰でもない。 強いて言うなら「戦争」そのものだってことは、解り切っていることなのに。

一番弱いものが責められるっていうのはどうしてなんだろう。 私にはどうしても不思議で仕方ない。

(評価:★4)

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