[コメント] 高慢と偏見(1940/米)
キャスティングで勝負の決着をつけたと言えるくらい俳優たちが粒ぞろいである。
まずは、グリア・ガースン。頭の回転が速く率直な二女を見事に演じている。この女優の「なりきる」能力は一体どうやって身に着いたのだろう。『ミニヴァー夫人』『キュリー夫人』いずれもすごかった。本作では彼女の機転に舌を巻き、微笑みに魅了されることを請け合う。回りを圧する主役らしいオーラに包まれたしぐさを堪能できる。
次いで、ローレンス・オリヴィエ。郷紳階級出身者が殆どを占める登場人物の中で、数少ない貴族階級の人物という出自が、はっきり分かる。繊細さ、隠し立てのできない正直さ、一途さ、どこか残るお坊ちゃん気質が余すところなく表現される。
その次に、エドナ・メイ・オリヴァー。憎まれ役のキャサリン夫人。郷紳階級をイギリス社会の中に相対化して位置付けるという重要な役割を担う。表情やしぐさの皮肉っぽさがとてもスパイシーである。しかし映画ではこれを生身の実在人物が担う。ゆえにちょっとした改変が施されている。(ネタバレになるゆえにあかせない) こうした改変に、制作者の俳優に対する思いやりを感じ取ることができる。
きりがないので、これで打ち切るが、メアリー・ボーランド。ベネット家の5姉妹の母親を演じた。エリザベスの率直の源泉がこの人であることがよくわかる。映画の中では抜群のコメディエンヌでもある。娘たちに結婚を終始促し続ける強引さと無神経さ、そして母親としての愛情の塩加減が抜群。「私たちも嵐がきっかけだったのよ」このフレーズに爆笑した。
以上4人に限らず、この映画は、どの人物も、まるで実在しているかのように喋り散らし動き回る面白さがある。固定舞台ではない、カットによってつなげられる変転極まりない映画空間の中の動きになっているところがすばらしい。これは脚本ではなく、動作を指導した監督、キャメラを回した撮影監督、舞台をしつらえた美術監督などの手練の成果だろう。ちなみに本作で、美術監督セドリック・ギボンズはアカデミー美術賞を受賞している。彼は何と11回もこの賞を獲った。この世界の最高峰と言える。
その映画空間の目に見える部分の下に、目に見えない部分がずしんと横たわっている感じ。これもまたこの作品の魅力となっている。それは女性と結婚というテーマである。 人間の行動として結婚をとらえると、そこには「愛」とか「慈しみ労わりあう」とか「共同」という崇高性を伴う言葉になる。一方で、生物学的には「生殖」であり「子孫形成」という身もふたもない現実がある。ちょうどその中間項として社会学的に見ると「集団間の女性の譲渡」というとらえ方ができる。本作を女性の結婚をテーマにした映画とすれば、まさにこの社会学的視点もほの見える。映画の中の女性たちは自分の立場の弱さをよくわかっている。母親が娘たちの結婚を急ぐのは、まさにその弱さゆえであり、そこには生き抜くための女性のいじましさがにじむ。同時に、時代を超えられない人たちの悲しみも感じ取られ、これが現代劇ではない時代劇の味にもなっている。
原作の魅力がかなり映画全体に響き渡っている作品だった。
それにしても、21世紀に入り、ハリウッド映画脚本が実に周到に作られるようになり、緊密に書かれすぎる結果、ある部分俳優のしどころを全部支配しているかのような息苦しい印象を受ける中で、この映画には、脚本は脚本としての分を守り、演出や俳優の自発的な魅力発揮を任せるような味わいを感じる。
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