[コメント] 十字路(1937/中国)
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躁鬱体質のドラマで、全体に躁状態なのだが、自殺した友人は異物として存在している。冒頭、自殺未遂の徐君のことで、彼は病気なんだと噂されて、痩せた母親の夢見て田舎に戻り、ユーモラスな本編にずっと不確かな影を落としていて、最後に自殺したと報じられる。「弱すぎた」と仲間たちは評し、元気に腕組んで街中へ進んでいく。このタッチは私には割と不思議だ。自殺するような奴は追悼には値しないと云っているように感じられる。強引に世の中に躁状態で突進しようぜというメッセージが感じられ、あくまで明るかった『大いなる路』(35)と共通するものがあるようにも思われた。
「僕らには使命がある。何かは判らんが」と序盤に宣誓される。新聞社では工場労働のルポが書かれ「女工哀史」と題されている。密輸急増が深刻な課題で、上海事変(新聞には上海戦争と書かれていた)、趙丹はこの新聞社を馘首になり、白楊の紡績工場(すごいオートマ化されている)は潰れてしまう。一旦は恋も終わりかけるが、上記のように元気に腕組んで街中へ進んでいく。どこへ進んでいくのかは、ここでは具体的には示されないが、全体を見返せばたぶん左翼活動なのだろうと思われる。
安アパートの境界紛争は面白いネタで、白楊は昼、趙丹は夜に働いていてすれ違い、電車でいつもすれ違う、という法則性がいい。境界越しにお互い手紙などやりとりもして攻撃し合うのだが、電車では好感を持ちあう。シャツのシミでまず白楊が気づき、趙丹に会った時に隣人の話をすると、ひどい奴だと趙丹が怒る、それはお前のことだろ、というお定まりのギャグ愉しく、ついに境界侵犯して趙丹の部屋を訪ねる、という展開。ただ、もうひとついい画が撮れていない。物干し竿がはみ出し、釘が飛び出し、かかっていた写真が落ち、最後は板が蹴倒される(『在る夜の出来事』(34)のジェリコの城壁が想起される)が、これらの笑える描写が視覚的に迫ってこなかった。
趙丹は岡田時彦というより大泉滉に似ており、白楊は私には清川玉枝にしか見えないが中国では美人なのだろうか。煮卵売りの声が街頭から聞こえるのが異国。序盤に趙丹が物乞いを二階の真上から眺め、上向いた彼と目が合う、という描写は珍しいショットで印象に残った。ベストショットは白楊がチンチン電車から落とした荷物を趙丹が駆け下りて路上から拾って電車に戻るシーンで、まるでキートンだ。家賃払わない趙丹に大家が云う「明日、明日というけれど、明日は永遠にあるんだよ」という科白はなるほどと思わされた。
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