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[コメント] 君たちはどう生きるか(2023/日)

高畑勲(パクさん)に捧げる大人のファンタジー。
ALOHA

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







7月14日にロードショーというのは、東京のお盆の日に合わせたんだと思いました。

宮崎駿は自身の死を意識して、なんとか後進に成長してもらい、仕事のバトンを早く渡したいと考えた。 でもこれを考えると、いてもたってもいられない。イライラする。 こんな心持ちではファンタジーなんて創れない。だから最後のファンタジーとして亡き母を想いながら『ポニョ』をリリース。

その後、高畑御大と示し合わせながら、後進への挑発的メッセージを乗せて、自分の仕事、生き様、考え方を これでもか!と、てんこ盛りに織り込んで『風立ちぬ』をリリース。 最初は本当にこれでアニメーション制作は終わりにすると思っていた。

だけど、心が安らかになる事はなかった。

どうしても伝えたい。でも伝えきれてない。なんで伝わらないんだろう?

君たちは、祖先から見守られている。なんて思ったこと無いだろう? 先輩たちから見守られている。なんて思ったことも無いんだろ? 自分の手で、自分の努力だけで生きていける。なんて思っているんだろ?

そんなわけないやん!

もっと謙虚に。そして一生懸命生きろ!

俺はもう死ぬよ?もう誰も助けられなくなるよ。俺たちがこの世からいなくなったら、今度こそ自分たちの手で、自分たちの努力で生きていかねばならんのよ?

君たちはどう生きるのか。

-追記-

どなたかの評を読み、高畑勲への弔辞を読み返してみました。

風立ちぬ』で揉めた最後の菜穂子の台詞「来て」を「生きて」に変えたのは、やはり、最後の仕事にするのではなく、まだ仕事を続けようと決心した瞬間だったと確信。 また、 本編で、キリコが真人を指導する際に放った「もっと深く」という台詞は、宮崎、高畑が目指した仕事に対峙する在り方だった。キリコが海で操船する姿は、高畑の初監督作品『太陽の王子 ホルスの大冒険』そのものだ。

少し長くなりますが、弔辞を抜粋引用します。

*パクさんとは高畑勲の愛称。毎日パンをパクパク食べながらスタジオ入りしていたことが由来。

(前略)

組合事務所のプレハブ小屋に泊り込んで、僕はパクさんと夢中で語り明かした、ありとあらゆることを。中でも、作品について。僕らは仕事に満足していなかった。もっと遠くへ、もっと深く、誇りを持てる仕事をしたかった。何を作ればいいのか、どうやって。パクさんの教養は圧倒的だった。僕は得難い人に巡り会えたのだと、うれしかった。

(中略)

長編10作の制作は難航した。スタッフは新しい方向に不器用だった。仕事は遅れに遅れ、会社全体を巻き込む事件になっていった。パクさんの粘りは超人的だった。会社の偉い人たちに泣きつかれ、脅されながらも、大塚さんもよく踏ん張っていた。僕は夏のエアコンの止まった休日に一人出て、大きな紙を相手に背景原図を描いたりした。会社と組合との協定で、休日出勤は許されていなくても、構っていられなかった。タイムカードを押さなければいい。僕はこの作品で、仕事を覚えたのだった。

初号を見終えた時、僕は動けなかった。感動ではなく、驚愕に叩きのめされていた。会社の圧力で、迷いの森のシーンは「削れ」「削らない」の騒ぎになっているのを知っていた。パクさんは、粘り強く会社側と交渉して、ついにカット数から、カットごとの作画枚数まで約束し、必要制作日数まで約束せざるを得なくなっていた。当然のごとく、約束ははみ出し、その度にパクさんは始末書を書いた。一体パクさんは、何枚の始末書を書いたんだろう? 僕も手いっぱいの仕事を抱えて、パクさんの苦闘に寄り添う暇はなかった。

初号で僕は、初めて迷いの森のヒロイン、ヒルダのシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。何という圧倒的な表現だったろう。何という強い絵。何という優しさだったろう。これをパクさんは表現したかったのだと、初めてわかった。パクさんは、仕事を成し遂げていた。森康二さんも、かつてない仕事を仕遂げていた。大塚さんと僕は、それを支えたのだった。

太陽の王子』公開から30年以上経った西暦2000年に、パクさんの発案で『太陽の王子』関係者の集まりが行われた。

(中略)

偉い人たちが「あの頃は一番面白かったなあ」と言ってくれた。「太陽の王子」の興行は振るわなかったが、もう誰もそんなことを気にしていなかった。

 パクさん、僕らは精一杯、あの時、生きたんだ。膝を折らなかったパクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。ありがとう、パクさん。55年前に、あの雨上がりのバス停で、声をかけてくれたパクさんのことを忘れない。

(評価:★4)

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