[コメント] ナタリー・グランジェ(女の館)(1972/仏)
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この二人の女はどういう関係なのだろう。ナタリーという子供の退学手続きらしく女教師と二人揃って対面している(対面の最後に示される)のはなぜなんだろう。ふたりともナタリーの親だとしたら、ふたりはレズビアンのパートナーで、ナタリーの両親ということで女教師と相対しているのだろうか。それとも片方が片方の友人なのだろうか。子供がもうひとりいるが、それぞれの子供なのだろうか。何なのだろう。
あるいは片方は屋敷の幽霊の類なのだろうか。関係は未決定のまま映画は進み、最後まで判らない。これがとても面白い。作者が買った屋敷を撮らんがための映画だったらしいが、片方は屋敷におまけでついてきたのだろう。どちらがそうだとも云えない。焚火するジャンヌ・モロー。焚火のほうへ近づくルチア・ボゼー。ひとりでぶらぶら屋敷のなかを歩き、別々にソファーに座り、並んでソファーに座る。交わらない視線。呼び鈴に応えるのはモローのほう。
ジェラール・ドパルデューの真面目な営業マン参入がとても喜劇的で、前衛のまま終わらず、私には判りやすく刺戟的になった。彼女らはふたりで相対し、身分証明書を見せようとする彼を強行に固辞し、「あなたはセールスではない」と断定する。彼が営業していた冷蔵庫の型はすでにこの屋敷にあったと知れ、彼は唖然として引き上げる。二度目に訪問したとき彼はものの売り方が判らなかったと、セールスを辞めたと告白して去り、映画が終わる。
冒頭に娘ナタリーに(暴力事件で)学校を辞めても続けさせたいと語られたこの娘のものらしきピアノが、終盤に鳴り続ける。続けさせたい割りにその技術は初心者のもので、弾かれるのは5音からなる音の連なりで、、何か剥き出しの感じがする。『未知との遭遇』が想起される。あれは本作の引用ではないだろうか。ラジオが銃持った二人組の経過を報道し続けるのがいかにもこの作者らしい並走のタッチ。不器用にボート浮かべるプールの藻の強調も何か凄い。
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