[コメント] 月夜の傘(1955/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
小田急梅ヶ丘駅傍、羽根木公園に組まれたセットの由。緩やかな丘陵地に大小の一軒屋が並び、町内の真ん中に井戸がある。これが共有地(コモン)ならさらに面白いのだが轟夕起子の家の敷地の一角の設定。ここにも緩やかな傾斜がついており、屋根つきの洗い場があり、各人が盥と洗濯板を持ってくる。全ての区画が背の低い垣根で仕切られている。キャメラは鳥瞰で撮り、二階の窓から撮る。陽当たりが素晴らしく、遠くに電車が走る(この電車がセットに見えるカットもあった)。まるで天国のような町内に見える。
井戸の周りでご婦人連が井戸端会議をする。興味深いのは、高校生の子供たちが今時井戸端会議なんて流行らないと文句を云い、ご婦人連も同意して、お食事会にしようなどと語り合っていること。本物の井戸端会議なんて理想的な地域コミュニティだと思うのだが、当時は何か負のバイアスがかかっていたらしいのが窺える。それは何だったのだろう。
未亡人で轟邸に間借りする坪内美詠子(娘が御馴染み二木てるみ)と伊藤雄之助(見合い写真で登場し客席にウケていた)が映画館のロビー(『もず』という洋画のポスターが貼っている)で見合いしている。見合いといっているが簡易な顔合わせなんだろう。ここで二人は惹かれることなく終わってしまうのだが、外で偶然に再会して仲良くなり結婚に至る。轟の亭主の三島雅夫がこれを知って、仲人として忸怩たるものがあると嬉しそうに唸る件は彼の名演技だった。
誰の息子がラブレターの代筆をしたとか、いや本人が書いたとかの丁丁発止があり、「思春期の心理」なる本読んで息子の心理を熟知している積りだった轟が眼を回している。子供はラブレターを書いてはいけなかったらしい。このラブレターの相手の女の子が最後まで登場しないのが洒落ている。しかし、席は同じうしてもいいらしく、ガールフレンドと広間で一緒に勉強している。この高田敏江が可愛い。若い男女はハモニカで合奏している。ハモニカは当時の色んな映画に出てくる。本当に流行っていたらしい。
新婚の新珠は近くに下宿する学生、坪内の弟の友達杉幸彦から一目惚れされる。遊びに来た弟の仲介で対面し、当然先に杉が気づく。雨の日にアラタマに傘差しかけられて下宿へ逃げて帰る杉。後でアラタマがそれを知る。知った途端にギコチなくなる展開は、昔のホームドラマの定番だったものだ。「学生に惚れられるなんて奥さんに隙があるんじゃないの」と指摘されて驚愕するアラタマ。そして杉は引っ越してしまうのだった。
子供たちは轟邸のお手伝い飯田蝶子を「婆や」と呼ぶのは旧弊だから弥生さんと名前で呼ぶことにして、かね子という名の轟が複雑になるのもいいギャグ。近所の東山千栄子が死んだ息子の形見のピアノを手放さざるを得なくなると、飯田は自分の蓄えからこれを買ってそのまま東山宅に置きっぱなしにする。お手伝いがこんなに蓄えていたというのもまたひとつの理想を語るのだろう。
絹代(毎晩おかずが金平牛蒡で子供が苦情云う件がある)の亭主の宇野重吉は先生で、20年間同じ授業を教えてボケていると評されている。趣味のコケ造りが子供たちに鳩舎づくりで剥がされて激怒。小屋を叩き潰してしまう。子供たちは民主主義に従いストライキ。絹代は間に入ってオロオロし、いまの先生は大変なのよ、今の子はすぐ封建的と云うと愚痴っている。
次の日、夜になっても父は帰らず、子供たちはどうするかと思いきや、お母さんたち女性が意見云わなければ駄目だと絹代に意見する。壺井栄が期待した新しい時代の子供たちだと伝わってくる。絹代は傘持って駅(高架になる前の西武新宿の井荻駅の由)にお迎え。居酒屋ですでに番傘借りていた重吉は彼一流の演技で、そんなに俺は暴君だったかねと反省の弁を述べて悠々と帰路につくのだった。なおOPの題字は「鈴木信太郎」とあるが何の人なのだろう。
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