[コメント] くじらびと(2021/日)
漁師に出会うたび、その生命体としての強さにビビッてきた人生だった。漁師なんかと比べれば総合格闘技でさえたかだか対人競技にすぎず、「人間の強さ」を測るには不足と感じてしまう。なにしろ自然を相手どって生きてる人間はもの凄い。自然は何ひとつ、人間の思い通りにはならないからだ。漁師はヤバい。同様に、山に入ってクマを狩る「マタギ」もヤバい。
この映画の中で、クジラアタックを喰らって舟からボチャンと海に振り落とされる漁師がいる。名前も紹介されないモブ漁師だ。木造の小舟の側部には、寄っかかったり足場にしたりするための手すりのような木材が張り出している。落っこちた漁師が海面から顔を出して手を伸ばし、海面から数十センチ上にあるこの木材を下から掴む。そして、何をどうやってんのか全然判らないんだけどズルッと登ってきて、自力で船上に戻ってくる。
オレに言わせりゃこれは信じ難い、驚愕すべき場面だ。私事ながらオレは昔、よんどころなき事情があって港区台場のパレットタウンの桟橋から海に飛び込んだことがある。この時オレは、自力ではまったく陸(おか)に上がれなかった。大部分が海中にある自分の体を、自分の力だけで頭上数十センチの陸に持ち上げる、そんなことは陸上で普通に生活する中でやったこともないし、やろうと思ったこともないし、やるべき時にいざやろうと思ってもできはしない。オレは陸上にいる人に引っ張り上げてもらって、どうにかシャバに戻ってきた。そりゃー田舎でため池や貯水池に落っこちたガキンチョが、あっけなく溺れ死ぬわけですわ。とにかく映画が特にスポットライトを当てないモブ漁師でさえ未来少年コナン級、或いはジムシィ級の能力の持ち主なのである。
海に面したこの村では、ガキンチョたちが海辺で遊ぶ。クジラは波打ち際に水揚げされる。オレの目が釘付けになったのは、海辺の岩だ。ゴツゴツ、ギザギザでまったくもって危ない。しかし子どもたちは平気で裸足で走り回っている。彼らと自分の生きてる世界があまりにも違うことに、呆然とせざるを得ない。現代の日本人が、不整地を自分の足で歩く機会の少なさたるや。
先日亡くなった千葉真一の著作「千葉ちゃんのスポーツ特訓」は、ガキの頃のオレの愛読書だった。この本で千葉ちゃんは、「石がゴロゴロの河原に行って全力でジグザグに走れ。次の着地点を瞬時に目視して、ジャンプと着地を繰り返せ」と力説していた。全然平らじゃない、不確実性だらけの凸凹の脚元で能力を発揮しろということだ。千葉ちゃんが偉いのはこういうところだ。整備された平らな陸上トラックでちょっと速く走れたって、それが何なんだ。そんなんじゃ野山駆ける忍者にはなれねえんだ! 柳生十兵衛にはなれねえんだ! ま、実際にはわたくし本を愛読するだけで忍者の訓練は何ひとつやりませんでした。
大山倍達など、ある種の武道家は「山ごもり」をする。男のロマン、或いは自己演出的な文脈でしか今どきあまり語られない「山ごもり」だが、なんとなく現実的な効果効能が想像できる気もするのだ。山ごもりの目的は、まったく自分にやさしくない自然環境にザコとして身を置くことで、生存闘争に必要な感覚を呼び戻すことにあるのではないか。ジムや道場でいくら稽古したって、道場の床には釘は落ちてないし、頭上から落石の可能性もない。でも山では僅かながらありうるわけです、不整地を歩くだけで足の裏が傷つく可能性が、目の前の藪から野犬やクマが襲ってくる可能性が。意識から都市生活の安心という毒を抜く効果は大きいのだろうと想像する。そしてクジラ漁の危険性は、山ごもりの比ではない。
なぜなら漁師の戦場は、不整地ですらなくて板子一枚下は地獄、無限の力でうねる大海原だからだ。海は、人間の力ではどうにもならん相手だ。海は生命の宝庫であると同時に、陸(おか)の人間にとっては死者の世界でもある。バリ島あたりじゃ遺灰は海に流すと聞く。人は死んで海へ去り、霊の世界で転生して地上に生まれてくる、とかなんとか。つまり漁師は人間を超えている。あの世へ体半分突っ込んで、クジラとって生きて戻ってくる。文字通りの「超人」なのだ。劇中に登場するクジラ漁のレジェンド超人なんか、70すぎの爺さんなのにブルース・リーみたいな体してた。
というわけで被写体が凄すぎたために、映画そのものがよかったとか悪かったとかはよく判らなかった。撮影は凄まじい。ドローンの空撮も素晴らしい。クジラ漁の場面は凄いの一言で、この映像は劇場で観るべきだ。音楽はあんまり気に入らない。特によかったのはクジラ漁師たちが専用の銛を鍛冶で作り、紐を撚る場面だ。彼らの営みを象徴する、絶対になくてはならぬ場面と感じた。
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