[コメント] けものの眠り(1960/日)
この時点では野呂が活躍する良い役かと期待してしまったが、以降、彼は科白もほとんど無く(というか、以降ほとんど出番も無く)中盤で退場してしまう。
タイトル及びクレジットバックは船や港の風景。埠頭(船着き場)の人々を横移動してクレジットが入る。クレジット開けは、主人公の長門裕之と吉行和子のやりとり。吉行は芦田の娘で、父の帰国の出迎えだ。吉行の母(芦田の妻)−山岡久乃もいる。ちなみに、芦田は当時43歳頃だが、定年退職を迎えたサラリーマンという役柄で(55歳の設定ということ)、後年の彼の雰囲気を先取りしたような老け役を作っている。ついでに調べると、山岡は34歳頃で、こちらも実年齢よりかなり上に見せている。長門は26歳頃、吉行は25歳頃だが、吉行に関しては、前年の『にあんちゃん』の時よりも幼く見え、初々しい。
主に横浜(港や山手、長者町、伊勢佐木町、真金町など)と十国峠や箱根を舞台とする、新興宗教団体を隠れ蓑にした麻薬組織にまつわるサスペンス、と書くと、なんとも日活映画らしいよくあるパターンに思えて来るが、上にも紹介したように、気の利いた移動撮影となかなか驚かされる繋ぎが連打される、標準以上の面白い活劇になっている。ただし、本作も『密航0ライン』と同じような路線で、清順らしい突飛な演出は極力排して、活劇に徹した作品と云えるだろう。ちなみに、両作品とも(『密航0ライン』も本作も)主演は長門裕之で、いずれでも彼は新聞記者を演じている。
では、いくつか目に留まった演出及びカッティングの例をあげておこう。まずは、2回出て来る回想フラッシュバックの見せ方だ。どちらも、話者からトラックバックして話者を画面隅に小さくとらえた上で、回想シーンを二重露光で大きく映すといった演出で、一つ目は渋谷のバーのホステス−千代侑子による、バーに来た客についての回想(芦田や草薙幸二郎、上野山功一、女給の楠侑子らが映っている)。二つ目は、芦田が娘の吉行に、事の顛末を告白する回想だ。私はこの画面造型って、同一画面に2つの空間を作り出そうとする清順の志向の一端というか変化形のようにも感じられて興味深かった。
あとは、序盤で失踪した(殺されたかも知れない)と思わせていた芦田が、唐突に自宅で大笑するショットが繋がれるといったカッティング。他にも、山手の家の庭を、芦田、吉行、山岡の3人が歩くショットから、酒場(浜ホール)の通路を酔客3人が歩くショットに繋ぐマッチカッティングなんかも指摘できるだろう。
ということで、本作も全体に(特に中盤までは)快調な出来栄えだが、やはり、清順らしい理屈を超えた画面の魅力が希薄なのは寂しくも思う。また、終盤は、性急な展開と弱い演出も散見されると感じた(プロパンガスの見せ方、楠侑子の部屋での長門裕之の振る舞い、爆発シーンのチープさなど)。エンディングの厳しい突き放し感は私の好みではありますが。
#備忘でその他の配役等を記述します。
・冒頭の港の場面で芦田を出迎える中に、澤村昌之助がいる。
・長門の新聞社(東洋新聞)の横浜支局には支局長の西村晃と記者の小沢昭一。
・麻薬組織のボスは、港栄商会の社長−信欣三と、日輪教の教祖−下元勉。組織のメンバーでクリーニング店やっている河上信夫。楠侑子と心中した男は神山勝。その妻は初井言栄で日輪教の信者でもある。
・伊勢佐木署の刑事で深江章喜。
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