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[コメント] ハイ・ティーン(1959/日)

佐田啓二の『暴力教室』。高校の学級崩壊に窃盗に妊娠に殺人とネタはひとわたり。民主主義社会の厄介な付録に邦画が取り組み始めた嚆矢だろうか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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50年代まで邦画の児童生徒は概ね大人しく、本作のような学級崩壊は滅多にお目にかかられない。実際そうだったのか、映画が描かなかっただけなのか。『暴力教室』(55)は太陽族映画に先行しており(太陽族は対象年齢がもっと高い)、表現の規制をクリアする機縁になったように思われるが、実際はどうだったのだろう。

「給料の範囲内でせいぜい頑張ってください」と憎まれ口を叩く仁礼という青年戸塚雅哉がとてもいい。連中がラグビーだけ真面目なのはなぜなんだろう。「あなた買います」という落書は自社宣伝風。授業で佐田啓二は年号を数種類教え、人間は自由になるためにこのような犠牲を払ってきた、だから自由には責任が伴うと教える。その年号はマグナカルタに始まり十月革命に至る。いまはもう、十月革命をそのように教える教師はいないのだろう(十月革命の手前はパリ革命が記されていた)。

桑野みゆきはまず、あの長い脚を晒すために登場しており、冒頭の水着姿での高飛び込みに始まり、ワイシャツだけで寝てみたりホットパンツになったり。後半は惚れ薬でも飲まされたかのように佐田ひと筋になり、「私なんかどうせ味噌っかす」と拗ねてみせ、原子力の火が第三の火だという社会見学での佐田の解説を引用して「私の胸のなかで第四の火が燃えているんです」と迫る。最後には佐田はついに、結婚を迫る桑野に別の態度を勉強しなさいと諭すのだった。彼女がもっと非行少女だったら話は相当重たくなっただろう。コメディエンヌタッチな造形は好ましかった。佐田は一番困ったのかも知れないが。

その社会見学(一泊する修学旅行を社会見学と云っている)、生徒の投票で東海村原子炉に決まり(ウソだろう)、第一号実験炉を見学。佐田は原子力も「正しい形で使われれば、明るく正しく暮らせる。このなかで燃えているのは人間の未来だ!」。これは当時の原子力発電の理解及び宣伝であるとともに、不良のエネルギーを正しく使えというメッセージなのだった。

その修学旅行の乱痴気騒ぎが面白く、女子たちは男子生徒が覗きに来るのを周知していて風呂場で待ち伏せていて一斉に水をかけるのがいいギャグ。いろんなもの盗まれたと檀上で太鼓叩いて注目させる山茶花究の旅館主も笑わせてくれる。ここで佐田は生徒を殴ってPTAに干される。生徒が先生の勤評に響いたら悪いといい、佐田がそんなものはないという科白があった。

終盤は退屈。50年代以前のフォームに振り子が戻り、真面目になる生徒らの心境の変化は、親の保護下で不自由だったのが、社会に出ると途端に責任感に目覚める、という意味ではよく判る。「隣にいる人間を信頼しろよ」という佐田の科白はいいものだった。しかし佐田の送別会は善意に振れ過ぎてくすぐったい。こういうくすぐったさは迷惑なことに、学園ものの定番演出として以降何十年も続くのだった。佐田の青山京子との別れの海岸で、背景に工場用らしい揚水発電らしき巨大な装置が見える。

(評価:★4)

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