[コメント] 華の乱(1988/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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どこまで史実なのか知らない。史実など気にせず時代の有名人を適当に出会わせて時代を語る山田風太郎みたいな作劇と思って観ていたが、実話もあるのかも知れない。与謝野晶子と有島武郎は関係あったとネットで沢山でてくるが本当だろうか。
「君死にたまふことなかれ」発表して家を放火されて、猥褻悪女で国賊はと詩人の勲章総浚えと鉄幹の緒形拳が悦んでいるのが面白い。鉄幹を家に残して晶子吉永小百合が有島武郎の松田優作と子連れでピクニックとはどういう図なのだろう。後半に子供らは晶子の不倫に叛乱を起こすが、それなら最初は悦んでいたのはオカシイだろう。子供らが成長したってことか。
松坂慶子の松井須磨子「復活」再現はさすがに感動がある。「キリストは甦り給えり」で終幕となる詰まらなそうなホンは正確な再現なのだろう。「みだれ髪」を読んで夢精したと下品に笑う風間杜夫の大杉栄。紙吹雪などの装飾とスピード感のあるカット繋ぎで、彼の神出鬼没はどれもとても良く撮れている。深作のコメディに風間は本当に相性が良かった。
東映はこの陽気さで全編通せないものなのだろうか。後半はいつもの東映女の性路線でどんどん辛気臭くなる。晩餐会における成田三樹夫と、松井須磨子の松坂の、まさに今の帝劇でかかるような長広舌連発の芝居。松井須磨子は死んだ島村抱月の後追い心中(仏前に松竹の大谷竹次郎の名札がある)。
虚無僧が子供連れて尺八吹いて風の町を歩いており、大杉の妻伊藤野枝石田えりは最初の夫と最初の子供と云って小銭を渡す。私は酷い母親だと、どうせ大杉と私は畳のうえでは死ねないと嘆く。「この人も愛欲の業火に焼かれている女のひとりだった」と晶子の漏らす感想は、この人らしい性認識ということだろう。革命の決心については別に感想がない。与謝野晶子は好まなかったのだろう。
有島は自分の土地を共生農場として農民に提供、小作農民先導の容疑で検束される。官憲は有島をすぐ解放し、農民ばかり虐待したと語られている。人形だった私がどうのという終盤の池上季実子の遺書も辛気臭く、吉永が子供らに反逆される愁嘆場は辛気臭いし、この辺から早く終わらないかナと思わされる。
関東大震災は終盤だけだが、「虐殺された社会主義者及び朝鮮人3,000余人」と字幕で指摘され、鉄幹は路上で横になり沈没が始まったと諦念を述べ、大杉の殺害が新聞で知らされる。焼跡を憲兵に紐で曳かれる同志の和田久太郎内藤剛志らを吉永は追いかけて握り飯を渡す。この件は『戦火の大地』が思い出された。
鉄幹が家建てるぞという明るいラスト。有島や大杉のような善人が死んで鉄幹みたいなゴロツキが生き延びるのだなあという感慨があった。テクを誇る映画ではないが、空間把握の構図に優れており、当時らしい明るすぎる採光がないのがいい。書斎で煙草吹かす吉永。吉永と優作の北海道での抱擁シーン背景の夕陽の雲はとても美しかった。有島の母に三條美紀。
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