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[コメント] 花の中の娘たち(1953/日)

東宝初カラー、もっさい農家の娘の岡田茉莉子。肥やし臭いと云われたり、下駄履いてホテルうろついて深々お辞儀して笑われたり、リヤカー曳いてテニスボーイに爆笑されたり。若い娘にとって何という不条理だっただろう。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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頑固な親を演じて小堀誠の代表作だろう。「ソロバンずくで百姓ができるか」「大事なのは人じゃない土だ」。20世紀梨で有名な農家、代々続く商店みたいなもので絶やしたくない。当時よくある物語で、小泉博みたいな企業勤めしか選択肢のなくなった現代からみると贅沢なようなジレンマではある。「わたしたちだって犬や猫じゃないのよ」と杉葉子は抵抗する。新憲法か憲法改正かと東野英治郎は批評する。

働きに出る次男坊の小林桂樹、簿記もソロバンもできなきゃ土木工事という職安の応対、水道橋の普請の日雇い。お前も保安隊になれと誘う堺佐千夫、俺はもう戦争はこりごりと答える小林。戦争にも行った設定なのだろう。お百姓は日中から寝転んでいいなあと通りがかりのサラリーマン夫婦。

東野の赤鼻とか岡田の化粧とか夕暮れの赤いフィルターとか、カラーでいろいろ遊んでいる。昔のグラビア雑誌の表紙みたいなカラーで上手く撮れているとは思われないのだが、田舎をもっさく描写するにあたってはこれで良かったようにも見える。終盤咲く梨の花の白が美しい。杉葉子の勤めるホテルのポップなロビーは印象的で、そこに下駄履いた岡田が乱入する。

「都会の人は裏か表がはっきりしている。私にはできないの」杉はこう語って小泉と別れるが、これは一方的で、農家の人だって裏表があるだろうと思う。やんごとなき平田昭彦の見切り方も一方的で都会に辛い演出は通俗かも知れない。

その後ソフィスケートされた東宝映画は田舎の擁護などしたことは殆どないだろう(ナルセの『鰯雲』だって農業の終焉を描く方向性の作品だった)。多摩川沿いの川崎市、小田急線の登戸辺りの話。多摩川に初めて橋が懸かり(多摩水道橋)、川崎が東京化を始める端境期の物語だった。多摩川梨というのは今でも名産の由。OPにキャストスタッフは表記されず、ただそこに記されるはずだった川の流れが延々映される。そんなネガしか残っていない不幸な映画。

(評価:★4)

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