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[コメント] 一万三千人の容疑者(1966/日)

吉展ちゃん事件の記録。被害者へ黙祷するための映画。演出も伊福部の音楽も真摯
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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中盤、警察が犯人を取り逃がす件は驚きがある。観客全員が金の置き場所は路駐のダンプと知っているなか、「金はどこに置いた」と張り込み刑事からの連絡がある。この訳の判らなさ、混乱がすごい。こちらまで頭が真っ白になった。駆けつければすでに50万円は消えている。何度も空振りがあったなかの集中力の空白に見える。「今度は本当かも知れない」と新聞の束ではなく本物の現金を持って出てしまう母の小山明子、その番号は控えてなかった。帰ってきて小山らに何も云えない刑事たち。怒る非番だった刑事の芦田伸介

現場に証拠として残されたのは片方の靴。片足で歩くのかと母は嘆き、周囲はもう死んでいるから片方なくてもいいのだろうと推量しながら勿論云わない。芦田は「朝鮮(韓国とは云わない)では事件後10年経って青年になって戻ってきた例がある」と云って慰めている。いつ戻ってくるか判らないから、自宅に鍵はかけないのだと云う小山の科白に感銘を受けた。

犯人の井川比佐志は好演だが、アリバイが二、三崩されただけで自白する真面目さは意外に見える。芦田の「嘘をついても平気な人」という最初の人物評が覆されるのであり、ウソついても開き直って許され続ける昨今の政治家たちから見れば、彼はいらぬ真面目さを身に着けてしまっていたように見えてしまうのだった。

脚を引きずる造形、生誕地(福島)に帰っても家族に嫌われているから裏山の藪で寝泊まりした、食料は盗んだ、という告白、どれも破格に貧乏で、人付き合いの下手な、生きるのが苦手な人物が浮かび上がる。ラストの母の岸輝子の「一緒に地獄へ行ってやる」という独白が刺さる。しかし(事実かどうか判らないが)Wikiによれば、犯人の遺骨は家族の墓の横に墓石もなく埋められている由。

自白の後、小山の処へ殺害を告げに行く芦田。大雨、たまらず途中下車して公衆電話でまず伝えて、電話口で絶望の声を聞く。事件は解決したが、最悪の解決だった。

なぜ殺したのか、足が悪いのに現場からどうやって逃走したのか等、映画だけでは幾つか判らないことがあるが、些細なことだろう。原作だから仕方ないがタイトルは少し浮かれた調子があり外しているように感じる。芦田の定年等の周辺事情も不要だっただろうが、これも原作踏襲なのだろう。一方、記録フィルムも挟まれているのは演出を越えたいい記録で、時代の空気が一緒に真空パックされている。華々しいオリンピックの開会式は、オリンピックまでに解決という小山らへの警察の約束が果たせなかった証明として使われる。メーデーで「早く返して」とプラカードが掲げられているのも記録している。この監督らしいのかも知れない。

(評価:★5)

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