[コメント] 非情の男(1961/日)
生まれ育ちの劣悪さを嫌悪しながらも、このチンピラ(三上真一郎)の怨嗟に何かを破壊するほどの迫力はなく、その身勝手で場当たりな行動原理はひたすら薄っぺらで滑稽だ。この男、成り上がることで頭がいっぱいなのだが、実は頭のなかは“からっぽ”なのだ。
“誰の情けもいらない。その代り誰にも情けはかけない”と、最も安易な生き方を選んでしまったこの男が拒絶したのは、あの「義理と人情」、いわゆる「連帯」と「しがらみ」だ。この男、決してニヒリスト(虚無主義者)などではない。この“成り上がり欲求”の権化は、ただただ「無知」なだけなのだ。
戦後15年、世間の劇的な変化との関わりを自ら絶った「無知」な男は、衆寓の「しがらみ」を利用して、その「無知」に乗じ、無自覚な「連帯」を呼びかけ、無知な衆寓の「人情」パワーに圧殺される。
安保闘争や平和運動に目くばせしつつも高橋治の視点にはインテリの上から目線を感じる。しかし、それもまたイデオロギーの土俵に上がることを周到に避けた者の正論でもある。
描かれているのは『仁義なき闘い』シリーズの対極に位置する“成り上がり欲求”のたどる路だ。
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