[コメント] DEVILMAN crybaby(2018/日)
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湯浅がいま一番『デビルマン』を語り直す人間としてふさわしい存在であることは、もはや疑うべくもない。ベクトルで言えばあの実写版を撮ったカントクとは、原作をはさんで対局にあるような一方の極端な存在が湯浅だが、そんな人の作品に原作ファンの俺が惚れ込むことになるとは思ってもみなかった。
湯浅版の脚色はかなり度を越している。任侠映画のキャラになりきっていた不良たちはラッパーに変貌し、デビルマン軍団の花にすぎなかったミーコは美樹を呪うコンプレックス少女になる。牧村家は完璧なクリスチャン一家として善良さを標榜し、その長女である美樹は男のみならず出会うものすべてを感服させる聖女となる。なんじゃこれは、というところだがこの改変の嵐はすべて物語の柱として作用する。
全ては何十手先を読む囲碁名人に等しいのだ。完璧すぎるゆえに牧村家は憎まれ、長男が悪魔に乗っ取られたことで周囲の悪感情は爆発する。母親は息子に骨までしゃぶられ、父親はその光景に呆気にとられたまま銃弾に吹き飛ばされる。この透明な残酷さには言葉もない。そして煩悩を奪われた聖女によりその悲惨きわまる運命は色彩を変えるのだ。原作のストレートな牧村美樹の悲劇は、まったくこれと同じながら与えられる衝撃度はまったく違う。
それゆえに、なぜそんな語り変えを為したかと思われた明の「泣き虫」化にも立派な意味があった。悪魔の体にある腕力や超能力に増して、この涙の意味は深い。原作では了は明を倒しながら涙するだけだが、そんな彼は湯浅版では完璧に敗北する。明が自分のために泣いてくれないことに狼狽し、彼が乗り移ったかのように泣きじゃくるサタン。彼に勝者の余裕などはなく、慟哭のなか天使たちによって完膚なきまでに粛清される。これはただの敗北だ。このラストは、恐れずに言えば原作を超えたと評価したい。知力も体力も劣る弱い人類が神に挑む、その唯一無二の戦法を死を賭して公開することで、弱者はカウンターパンチを見舞うことに成功したのだ。
今でも自分は湯浅監督が好きではない。この作品も「湯浅デビルマン」であり、原作の完全映画化とは認められない。だが、異端であるゆえにこの物語の完成度は深すぎる。永井豪のベクトルを無視して仕上げたゆえに、これはまぎれもない傑作となったのだ。原作ファンにぜひぶつかって悲鳴をあげてほしい「壁」である。
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