[コメント] 夜間もやってる保育園(2017/日)
実際、前景でインタヴューが執り行われている最中に、いかなる演技指導も施されていない子らがうろちょろ騒ぎ回っているという画面・音響を劇映画は持つことができない。
また、これもいささか奇を衒った風に聞こえたら本意ではないが、率直に画面を見つめる限りにおいて、この作品は「ディズニー映画」である。より正確を期すならば「ウォルト・ディズニー・スタジオ映画」ではなく「ウォルト・ディズニー・カンパニー映画」だが、主に子らの衣服にあしらわれたものとしてディズニー産キャラクタが画面上に静かに氾濫する、というのがその謂いだ。いかにディズニー産キャラクタが、子に、その親に、幼児保育の現場に、延いては日本社会に浸透しているか、人によってはここから何らかの社会学めいた言説を捻り出すこともできるだろうが、単純に云って、これほどディズニー産キャラクタが遠慮なく画面に現れる映画はウォルト・ディズニー・スタジオ映画を除いて他にないだろう(『エスケイプ・フロム・トゥモロー』のような映画でさえもっと節度を保っている)。
さて、作中で最も感動的な場面についても記しておこう。終盤、かつて新宿の二四時間保育園に通っていた三姉妹が、クリスマス会に参加するために久方ぶりに園を再訪するシーンだ。卒園しているとはいえまだ幼い妹ふたりは保育士先生らとの再会を喜んで無邪気にはしゃいでいるが、それをよそに長姉はひとり真剣なまなざしで不乱に園の貼紙などを見て回っている。ただむやみに懐かしがっているのではない。園がいかに膨大で細やかな配慮を巡らして設計・運営されていたか、そのプロフェッショナリズムを改めて思い知り、感じ入っているのかもしれない。彼女の心の内の万感はおよそ計り知れないが、胸を打つ真実性がそこに記録されている。それは、映画の題材を「社会問題」にのみ還元したがる近視眼的な演出では捉えられない類の、人間の、ドラマの、真実性である。
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