[コメント] リトル・フォレスト 冬・春(2015/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「夏・秋」編のコメントで、巷に溢れているような煩わしい人間関係を描くことなく静かな時間が横溢していて素晴らしいと絶賛したが、残念ながら「冬・春」編はそれらが少なからず描かれている。どうした事かと面食らったが、この4部作を観て考えるに、次のようなことらしい。
つまり「夏・秋」編の静かな時間は主人公の人生の中での一時期の事であり、作者としては、その前もその後も彼女の生き様のすべてを描きたかった、ということの様だ。私自身もいち子の今後が気にならないと言えば噓になる。
ではどういう人間関係が描かれているかというと、まず現れるのは、人間関係の最たるもの‘村の寄り合い’だ。と書けば、後は推して知るべしだろう。
そして、本シリーズを特徴づけた dish(:お皿に盛りつけたごちそう)を1つ1つ丁寧に作っていくのは変わらないが、さすがに2作目ともなると、おっ!と思う料理は少ない。2色クリスマスケーキが面白いのと、‘じゃがいもモパン’が美味しそう!です。
画の美しさ(撮影:小野寺幸浩)は衆目の一致する所であろうが、焼き芋から立つ湯気を捉えたショットと、オープニングの白鷲(?)が森の枝から飛び立つシーンはベストだろう。
最後に主人公に触れる。彼女は「私は逃げて来た」と言い、幼馴染の青年からも「逃げているんだよ」と言われる。が、思うに、逃げて来たのではなく、その時彼女には煩わしい人間関係・生活から離れての静かな時間が必要だった、それを求めていた、そして必然だったのではないか。
次のステップへ移行する為の静かな時間は、どんな時にでも誰にでも必要なものなのだ、という事。それが、作者が全4時間の内の半分を使ってまでも言いたかったことなのだろう。更に言い過ぎというそしりを免れないで言うと、ラストの‘決意、再生’よりも。
「稲は人の足音を聞いて育つ。」という言葉が出て来る。静かな晴れた日中の田のアゼ道を主人公が歩いて行く。静かな時間の中でこそ、稲も人間も確実に育つのではないかと思う。
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