[コメント] 円卓 こっこ、ひと夏のイマジン(2014/日)
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どうも。可愛いだの天才子役だのマルマルモリモリだの世間が言ってる頃はビタイチ興味なかったのに、世間が騒がなくなった今頃芦田愛菜にハマってるペペロンチーノです。 あのね、彼女は「天才子役」じゃなくて大女優ですよ。 行定曰く、彼女は台本読み合わせに手ぶらで来たそうですよ。台詞全部頭に入ってたんだって。こっこが髪を結んでる“目玉のゴム”も彼女自身が選んだそうですよ。理由は「こっこはいろんなものを見てるから」。そもそもこの役は、可愛いだけじゃ務まらない。
そんな芦田愛菜の大女優っぷりをウヒウヒ楽しもうと観に行ったら、予想外に大人な映画だった。
行定は、岡本太郎の太陽の塔を後ろ姿しか写しません。 子供らだけで行けるのですから、万博公園の北側近所に住んでいるのでしょう。この段階で、舞台は大阪の北の方で、いわゆる南の“コテコテ”の大阪ではない地域であることを表現します。言い換えれば、「この映画は浪花節じゃないよ」と太陽の塔一つで表現するのです。
さらに、普段目にする太陽の塔の正面を写さずに後ろ側だけを見せることで、「物事には別の一面がある」「見方を変えるだけで違って見える」ことを暗示するのです。
この映画は、「物事の別の一面」「見方を変えるだけで変わる」ことを描写します。そして、小学3年生がそうした“多様な価値観”を(ぼんやり)理解するひと夏を描いているのです。
狭い公団マンションに住む笑顔の大家族。対して、大きく立派で濃いカルピスを出してくれるけど両親の離婚危機という正に「冷たい石の味がする」家。 自分が「カッコいい」と思っても、相手が嫌がってるかもしれない。 誰かを死ねと思ったことはないけど、誰かを守りたいと思ったことはある・・・。
こうした「別の一面」を理解しようとイマジンを働かせるこっこの前に、絶妙なタイミングで“変質者”を登場させます。 大人であれば絶対的な“悪”である変質者ですが、小3の彼女には善悪どころか、相手の気持をイメージすることもできない“得体のしれないもの”なのです。先生が怒った理由、赤ちゃんができたことを無条件で喜ぶ家族、そうしたものと同じ、あるいはそれ以上に「不可解な世の中」の象徴なのです。 この変質者、あるいは寿老人と鹿の夢などはベルイマンすら彷彿とさせながら(<それは言い過ぎ)、世の中の不可解さという答えの出ない哲学的命題を提示するのです。なんて難しい映画なんでしょう。
しかしこの映画は「見方を変える」という答えを用意します。 世の中がツマラナイという幹さんに、彼女は自分の好きなもの、自分が面白いと思うことをメモするのです。 紙吹雪として舞うこのメモは、世界は見方一つで楽しいことに溢れていることを教えてくれます。 なんて素敵な映画的シーンでしょう。
ジャポニカ学習帳の1ページ目は「こどく」でした。 大家族の彼女は孤独に興味があったのでしょう。 しかし、世界の楽しいことを伝える際、「こどく」は選択しません。 それどころか彼女は、憧れていた孤独ではなく、仲間と家族とのつながりを受け入れるのです。 それをジャポニカ学習帳の1ページ目だけで表現するこの映画、なんてレベルが高いんでしょう。
(14.06.29 TOHOシネマズシャンテにて鑑賞)
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