[コメント] センチメンタル・ジャーニー(1946/米)
幽霊か幻覚か、決定不可能の細道を辿る佳作。ジジェクの解説が読みたくなる。夢想の激しい子役コニー・マーシャルの造形絶妙、松本伊代に似ているのはどういう冗談なのだろう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
冒頭、劇の練習で始まるのが粋で、全体の作り物めいたメタ物語の雰囲気を予告しているのだろう。詞(ジプシーに売られて身代金で解放されるという自分の物語)でもってモーリン・オハラの死をあらかじめ知っている孤児のコニー・マーシャル。死後蘇るオハラはマーシャルに感化されてスピリチュアルになったのか、マーシャルの幻覚なのか判らない。映画は恐怖の雰囲気を避けており、幻想描写はなく、ただ信頼の女性映画なのだか、それゆえに幻想の印象を強めている。
夫のジョン・ペイン子供だから大事にしてくれ、というオハラの遺言をマーシャルは堂々と夫に伝えてしまう。ここ禁忌に触れる驚きの件で、当然に夫は凍りついてしまうが、夫は反省してしまう。ここが本作のクライマックスで、愛しすぎた妻を失った夫が正気に戻るには、こんなショック療法しかなかろう、と映画は語っているようだ。
モーリン・オハラは美人が不自然な雰囲気で、魅力という点では後年のフォード作に大きく劣るが、作劇に合致した造形だろう。名曲を流すレコードはポータブルだが、すでにSP盤ではないのだろうか。動物園のユーモアもいい。医師がオハラに、夫と娘は合わないから娘を孤児院に返せと進言する件はよく意味が判らなかった。有名なタイトル曲はまだ歌詞がつけられていない。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。